ニュージョージア島・レンドバ島
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「ソロモン諸島の戦い」の記事における「ニュージョージア島・レンドバ島」の解説
詳細は「ニュージョージア島の戦い」を参照 詳細は「レンドバ島の戦い(英語版)」を参照 日本軍はガダルカナル島での戦いを支援するため、1942年12月にニュージョージア島のムンダに飛行場を建設した。ガダルカナル島撤退後、日本軍はソロモン方面の防衛線を中部ソロモンとすることに決定し、ニュージョージア島やそのすぐ北にあるコロンバンガラ島の戦力増強を続けた。 アメリカ軍はニュージョージア島の日本軍のムンダ飛行場を占領して自軍の飛行場とするため、その準備作戦として1943年6月30日、ムンダの対岸のレンドバ島に上陸した。続いて、7月5日にニュージョージア島に上陸し、8月5日にムンダを占領した。残存の日本軍は同月下旬にコロンバンガラ島へ撤退した。 アメリカ軍のニュージョージア島上陸からムンダ飛行場占領までの経過は順調なものではなく、事前計画より多くの日数と損害を強いられることになった。ジャングルを通って敵飛行場に接近し占領するという困難な問題(ガダルカナル島で日本軍が解決できなかった問題)を経験したアメリカ軍は、この苦い経験によりその後の作戦計画を修正することになる。また、1943年8月にアメリカ軍統合参謀本部が発表した指令書は「ラバウルは占領するよりもむしろ無力化すべきである」と述べている。
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