第8駆逐隊の撤収と第二次輸送作戦とは? わかりやすく解説

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第8駆逐隊の撤収と第二次輸送作戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/15 19:31 UTC 版)

バリ島沖海戦」の記事における「第8駆逐隊の撤収と第二次輸送作戦」の解説

2月20日午前3時蘭印部隊主隊(第三艦隊高橋中将)の3隻(重巡洋艦足柄〉、駆逐艦江風山風〉)は急報受けてバリクパパン出発して南下したが、戦闘には間に合わなかった。同日午前6時第一根拠地部隊指揮官久保少将率いる4隻(長良若葉子日初霜)はバリ島戦場到着、2隻(長良初霜)がロンボック海峡北口警戒し、残る艦で満潮救援を行う。午前10時荒潮満潮曳航して退避開始するが、空襲により回避行動をとったところ曳索が切れ、さらに満潮至近弾で浸水してしまう。また大潮至近弾による浸水最大発揮速力10ノットとなり、阿部司令は朝潮移乗した。各艦は第一群(朝潮荒潮満潮子日)、第二群(若葉大潮)、第三群(長良初霜)にわかれ、北上開始した第一群は夕刻までにのべ26機の空襲受けた被害はなく、22日0130マカッサル到着した第二群・第三群および輸送船2隻(相模丸笹子丸)は一足先にマカッサル帰投した。午後蘭印部隊指揮官高橋中将第8駆逐隊を主隊に編入マカッサル待機下令した。 2月22日バリ島陸上攻撃機進出し、同島航空戦力戦闘機32陸上偵察機4、陸攻11となる。2月23日18時、第二輸送作戦部隊(主隊〈長良朝潮荒潮〉)、梯団(第21駆逐隊若葉子日初霜〉、輸送船洛東丸、興津丸臺東丸、とよさか丸、第三日の丸〉、第2駆潜隊第1号第21号駆潜艇〉)、支援隊(筑紫)はマカッサル出撃した。蘭印部隊主隊(足柄江風山風)はスターリング湾を出発し、これを支援した24日1700航空機より「敵巡洋艦1、駆逐艦3、スラバヤ北方60浬」との情報得た久保司令官は、連合軍バリ島方面脱出するバリ島飛行場砲撃する判断し、各艦(長良朝潮荒潮若葉子日初霜)を率いて敵艦隊を求めたが、接敵しなかった。25日0800第二次輸送部隊泊地到着連合軍妨害排除して揚陸成功した3月5日第一根拠地隊バリ作戦終了した

※この「第8駆逐隊の撤収と第二次輸送作戦」の解説は、「バリ島沖海戦」の解説の一部です。
「第8駆逐隊の撤収と第二次輸送作戦」を含む「バリ島沖海戦」の記事については、「バリ島沖海戦」の概要を参照ください。

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