第8駆逐隊の撤収と第二次輸送作戦
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「バリ島沖海戦」の記事における「第8駆逐隊の撤収と第二次輸送作戦」の解説
2月20日午前3時、蘭印部隊主隊(第三艦隊、高橋中将)の3隻(重巡洋艦〈足柄〉、駆逐艦〈江風、山風〉)は急報を受けてバリクパパンを出発して南下したが、戦闘には間に合わなかった。同日午前6時、第一根拠地部隊指揮官久保少将率いる4隻(長良、若葉、子日、初霜)はバリ島の戦場に到着、2隻(長良、初霜)がロンボック海峡北口を警戒し、残る艦で満潮の救援を行う。午前10時、荒潮は満潮を曳航して退避を開始するが、空襲により回避行動をとったところ曳索が切れ、さらに満潮は至近弾で浸水してしまう。また大潮も至近弾による浸水で最大発揮速力10ノットとなり、阿部司令は朝潮に移乗した。各艦は第一群(朝潮、荒潮、満潮、子日)、第二群(若葉、大潮)、第三群(長良、初霜)にわかれ、北上を開始した。第一群は夕刻までにのべ26機の空襲を受けたが被害はなく、22日0130マカッサルへ到着した。第二群・第三群および輸送船2隻(相模丸、笹子丸)は一足先にマカッサルへ帰投した。午後、蘭印部隊指揮官高橋中将は第8駆逐隊を主隊に編入、マカッサル待機を下令した。 2月22日、バリ島に陸上攻撃機が進出し、同島航空戦力は戦闘機32、陸上偵察機4、陸攻11となる。2月23日18時、第二輸送作戦部隊(主隊〈長良、朝潮、荒潮〉)、梯団(第21駆逐隊〈若葉、子日、初霜〉、輸送船〈洛東丸、興津丸、臺東丸、とよさか丸、第三日の丸〉、第2駆潜隊〈第1号、第21号駆潜艇〉)、支援隊(筑紫)はマカッサルを出撃した。蘭印部隊主隊(足柄、江風、山風)はスターリング湾を出発し、これを支援した。24日1700、航空機より「敵巡洋艦1、駆逐艦3、スラバヤ北方60浬」との情報を得た久保司令官は、連合軍がバリ島方面に脱出するかバリ島飛行場を砲撃すると判断し、各艦(長良、朝潮、荒潮、若葉、子日、初霜)を率いて敵艦隊を求めたが、接敵しなかった。25日0800、第二次輸送部隊は泊地に到着、連合軍の妨害を排除して揚陸に成功した。3月5日、第一根拠地隊のバリ作戦は終了した。
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