第32駆逐隊とは? わかりやすく解説

第32駆逐隊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/29 08:20 UTC 版)

玉波 (駆逐艦)」の記事における「第32駆逐隊」の解説

本艦隼鷹護衛中の1943年昭和18年10月1日付で、玉波は第32駆逐隊(駆逐隊司令中原義一郎 大佐)に編入される32駆は夕雲型定数4隻(玉波藤永田造船所4月20日竣工〉、涼波〈浦賀船渠7月27日竣工〉、藤波藤永田造船所7月31日竣工〉、早波舞鶴海軍工廠7月31日竣工〉)となった10月14日艦隊隼鷹雲鷹玉波、曙)は佐伯出撃する10月19日隼鷹隊はトラック泊地到着した本艦トラック泊地待機する詳細は「ラバウル空襲」を参照 同年11月上旬ブーゲンビル島の戦いに伴うろ号作戦大戦果(誤認)に呼応し第二艦隊司令長官栗田健男中将指揮する重巡洋艦基幹遊撃部隊重巡愛宕高雄鳥海摩耶鈴谷最上筑摩〉、第二水雷戦隊軽巡能代〉、第32駆逐隊〈玉波、涼波、藤波早波〉、島風型〈島風〉〕)は、トラック泊地からラバウル進出する。だが11月5日栗田部隊アメリカ軍機動部隊空襲受けて大きな被害を出す(ラバウル空襲)。栗田部隊は、航行不能摩耶二水主力等を残してラバウルから退避したトラック回航部隊のうち最上損傷により速力12ノットしか発揮できず、遊撃部隊同行できなかった。そこで最上単独帰投となり、玉波がその護衛従事したその後鈴谷島風遊撃部隊から分離して最上玉波警戒従事した11月8日、4隻はトラック泊地到着した最上艦長徳一大佐は、玉波対しラバウル出港以来連日連夜わが艦の護衛任じてくれた駆逐艦玉波労苦に対しては、深甚謝意を表する次第である。」と回想している。 11月11日二水戦の玉波島風は、空母翔鶴第四戦隊愛宕高雄) を護衛してトラック泊地出発する11月15日翔鶴隊は横須賀到着した修理整備実施する11月26日駆逐艦4隻(玉波島風谷風秋月)は空母翔鶴千歳護衛して日本本土出撃した。12月1日翔鶴隊はトラック泊地到着した二水戦の3隻(島風玉波五月雨)は数日間トラック泊地待機する12月7日玉波島風は「第七〇七二船団」(富士山丸神国丸) を護衛してトラック出発した11日玉波島風途中で富士山丸船団護衛止めその後護衛哨戒艇引き継ぐ玉波島風日栄丸船団(日栄丸、旭東丸、照川丸)に合同しトラック泊地向かった12月15日日栄丸船団はトラック泊地到着した。。同時期、工作艦明石世話になっていた最上の応急修理完成する12月16日最上艦長指揮下、最上玉波(第32駆逐隊)、(第9駆逐隊)はトラック泊地出発した12月21日最上隊は日本本土帰還する玉波は呉で、舞鶴で、修理整備おこなった

※この「第32駆逐隊」の解説は、「玉波 (駆逐艦)」の解説の一部です。
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