船団護衛任務とは? わかりやすく解説

船団護衛任務

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 01:01 UTC 版)

海鷹 (空母)」の記事における「船団護衛任務」の解説

その頃着艦訓練終えた海鷹は、3月17日付で第一海上護衛隊編入されていた。第九三一海軍航空隊九七艦攻12機を海鷹搭載する海鷹護衛空母としての初任務は、ヒ57船団である。この船団タンカー8隻と陸軍特殊艦神州丸合計9隻から成り護衛艦艇は7隻(空母海鷹〉、海防艦択捉壱岐占守第8号第9号〉、水雷艇〉)であった4月3日午前6時ヒ57船団部隊山口県関門海峡沖合六連泊地出撃した。4月16日シンガポール昭南)に到着する改めてヒ58船団となり、5隻(海鷹択捉壱岐占守第9号海防艦)は加入船舶7隻を護衛して4月21日昭南出発した4月24日、「海鷹搭載の九七式艦攻アメリカ潜水艦ロバロー (USS Robalo, SS-273) を爆撃し被害与えた5月3日門司帰還した海鷹瀬戸内海回航後、呉海軍工廠入渠して修理を行う。 5月下旬海鷹は二回目の船団護衛任務に従事する5月29日第七護衛船団司令官松山光少将練習巡洋艦軽巡香椎乗艦空母海鷹」、海防艦淡路千振19号)、駆潜艇60号、敷設艇燕、陸軍特殊艦神州丸油槽船11からなるヒ65船団指揮して日本本土北九州門司港)を出撃シンガポール向かった火焼島沖合航行中6月2日午前2時45分アメリカ潜水艦ギターロ (USS Guitarro, SS-363) の雷撃海防艦淡路沈没した続いて回避行動中に貨客船有馬山丸神州丸衝突する神州丸搭載爆雷誘爆大破香椎神州丸台湾基隆市まで曳航した。6月11日12日とも)、ヒ65船団部隊は、シンガポール到着した帰路のヒ66船団軍艦香椎海鷹〉、海防艦千振7号11号〉、護衛対象4隻)は6月17日シンガポール出発する損傷艦なく6月26日門司帰投した。 7月上旬、2隻(香椎海鷹)は呉海軍工廠修理を行う。7月中旬海鷹フィリピンへの輸送作戦参加した門司出航のヒ69船団に加わる。同行する空母3隻(大鷹海鷹神鷹)のうち対潜哨戒機搭載していたのは神鷹のみである。大鷹海鷹航空機輸送艦として、零戦95機、艦爆彗星1機、艦攻天山5機、局地戦闘機雷電10機、夜間戦闘機月光9機を輸送した。ヒ69船団旗艦練習巡洋艦香椎指揮官第五護衛船団司令官吉富三少将)、護衛部隊は6隻(香椎神鷹千振佐渡第七号海防艦第十七号海防艦であった7月13日-14日、ヒ69船団部隊北九州出撃する7月18日第十七号海防艦アメリカ潜水艦タイルフィッシュ (USS Tilefish, SS-307) の雷撃中破台湾高雄市回航された。他に被害はなく、20日マニラ到着した。ここで輸送用航空機陸揚げした大鷹海鷹は、神鷹分離する神鷹はヒ69船団部隊としてシンガポール向かった大鷹ヒ68船団として帰投した。 一方海鷹マモ〇一船団空母海鷹輸送船浅間丸護国丸護衛艦艇〈駆逐艦秋風〔第30駆逐隊〕、駆逐艦初霜〔第21駆逐隊〕、掃海艇28号駆逐艦 〉)として、7月25日マニラ出発する27日マモ〇一船団高雄台湾)に到着した。ここで秋風マニラ戻ったマニラ滞在中の7月29日高尾大佐海鷹艦長)は呉鎮守府付となる。北村昌幸大佐臨時海鷹艦長任命された。7月31日マモ〇一船団部隊高雄出発する航海中の8月1日有田雄三大佐海鷹艦長補職される。8月3日船団部隊九州到着した海鷹は呉に到着機関故障修理のため、ただちに呉海軍工廠入渠した。8月から10月中旬にかけて、呉海軍工廠整備修理従事した10月17日海鷹連合艦隊指揮下に入る。空母2隻(龍鳳海鷹)は台湾沖航空戦伴って損害受けた台湾高雄市航空廠や、各航空部隊向けの資材輸送することになった部隊指揮官有田雄三大佐海鷹艦長)。10月25日、緊急輸送部隊空母海鷹龍鳳〉、松型駆逐艦〉)は佐世保出撃する27日基隆到着物資揚陸し、帰路アルコール燃料用砂糖積載した30日基隆出発する11月1日-2日艦隊無事に内地到着した。各艦は、それぞれ原隊復帰する11月21日まで、海鷹呉海軍工廠修理整備を行う。 11月下旬海鷹最後護衛任務従事する11月25日北九州出撃護衛艦艇(空母海鷹睦月型駆逐艦夕月卯月松型駆逐艦海防艦〈第25号、第35号、第63号、第64号、第207号〉)、貨物船5隻とタンカー3隻、他2隻から成る83船団護衛してシンガポール向かった11月30日第九三三海軍航空隊基地物件搭載の第30駆逐隊夕月卯月)は分離して馬公市に向かう。海鷹含め83船団高雄市到着した12月1日高雄市マニラ行き駆逐艦貨物船分離する12月3日朝、第六十四海防艦は米潜水艦パイプフィッシュ (USS Pipefish, SS-388) に撃沈された。航海中の12月10日海鷹第一護衛艦隊編入される12月13日海鷹ふくめヒ83船団部隊シンガポール到着した12月26日、ヒ84船団シンガポール出撃する1945年昭和20年1月4日香港到着翌日出発1月13日門司到着したその後は、艦上機燃料枯渇してきた上に制海権連合国軍握られたこともあり大規模船団運航停止追いこまれ、海鷹瀬戸内海標的艦目標訓練艦となった詳細は「呉軍港空襲」を参照 1945年昭和20年3月15日有田雄三大佐海鷹艦長)は海軍水雷学校教官転任した後任海鷹艦長は、国府田清大佐(当時海軍運輸本部総務課長)。だが国府田大佐はしばらく着任できず、引き続き有田大佐艦長として指揮をとった。3月19日アメリカ海軍機動部隊艦上機呉軍港を空襲する。高高度から撮影した呉軍港の写真では、海鷹左舷前方戦艦大和海鷹前方航空戦艦日向海鷹右舷後方戦艦榛名繋留中)が写っている。空襲時の海鷹雲龍型航空母艦2隻(天城葛城付近に停泊しており、飛行甲板貫通した爆弾1発が海面炸裂した。戦死者3名。重油タンク左舷機械室浸水する被害受けた比較損傷小さかった海鷹は、他の残存空母龍鳳鳳翔天城葛城と共に飛行甲板植物を置くなどの偽装行った3月28日呉鎮守府護衛部隊に編入される

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船団護衛任務

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/17 09:35 UTC 版)

浜波 (駆逐艦)」の記事における「船団護衛任務」の解説

1943年昭和18年10月15日竣工同時に、浜波は訓練部隊第十一水戦隊司令官木村進少将海軍兵学校40期)に編入された。瀬戸内海回航され、約二ヶ月間にわたり臨時編入と共に訓練受けた12月15日、浜波は第二水雷戦隊司令官早川幹夫少将海兵44期)麾下第32駆逐隊編入される当時32司令は、白露型駆逐艦夕立初代艦長陽炎型駆逐艦時津風初代艦長等歴任した中原義一郎大佐であった海軍兵学校48期)。第32駆逐隊前月ラバウル空襲夕雲型駆逐艦10番艦の涼波を喪失して3隻編制となっており(昭和19年1月5日、涼波除籍)、本艦編入により定数4隻(玉波早波藤波、浜波)となった。 浜波の最初外洋遠距離航海は、波船団護衛だった。日本陸軍52師団10月20日中部太平洋方面派遣命令11月15日編成完結)を、中部太平洋方面各島輸送する作戦である。複数運航される船団のうち、第17駆逐隊司令井保大佐司令駆逐艦浦風」)指揮下のトラック行き船団を波船団称した。波船団船団区分は、甲梯団護衛艦浦風、浜波〉、輸送船〈妙義丸、日昌丸松江丸、御影丸〉)、乙梯団護衛艦朝雲波勝〉、輸送船第三吉田丸、夕映丸、長野丸〉)であった12月24日、浜波は呉港から宇品移動して陸兵45名を受け入れる。同日宇品から佐伯港移動する12月25日、波船団第一梯団佐伯出撃した。 1944年昭和19年1月4日、波船団(甲梯団)はトラック諸島到着した(乙梯団7日トラック着)。陸兵45名は浜波から退艦した。 1月7日、浜波は輸送船松江丸(日本郵船、7,061トン)を護衛してトラック泊地出発した9日、5072船団ポンペイ島ポナペ島)に到着した南洋第三支隊は同島に上陸した。浜波は直ち反転し10日トラック泊地帰投した。数日間トラック泊地待機する1月12日早川幹夫第二水雷戦隊司令官は、二水戦の駆逐艦時雨と浜波を視察した1月17日二水戦の浜波と島風パラオ方面派遣駆逐艦指定される第二海上護衛隊指揮下に入り引続き船団護衛任務に従事した20日、浜波と第30号駆潜艇は「第七二〇船団」(第三小倉丸第二共栄丸)を護衛してトラック泊地出発する1月26日、7202船団パラオ到着した1月30日第二海上護衛隊命令受けた浜波と駆潜艇30号は、佐多船団護衛のためパラオ出港した31日メレヨン島仮泊したあと、翌日出発した2月2日洋上佐多船団合流する特設駆潜艇1隻が途中で離脱したあと、佐多船団2月7日トラック泊地到着した2月12日護衛艦艦艇(浜波、駆潜艇30号第五昭南丸、第二拓南丸)は佐多船団護衛してトラック泊地出撃パラオに向かう。佐多船団は、給油艦佐多特設給兵船日朗丸(日産汽船、6,534トン)、特設水雷母艦神風丸(山下汽船、4,918トン)、第二丸、北上丸であった。だが2月17日-18日にかけて、佐多船団アメリカ潜水艦サーゴ (USS Sargo, SS-188) の襲撃受けた雷撃により日朗丸が轟沈佐多航行不能となる。浜波は佐多救援しつつ、対潜掃討実施した19日佐多特設給兵船新玉丸(玉井商船、6,783トン)に曳航されてパラオ向かった20日佐多船団パラオ到着しその後の浜波は同地待機した2月25日午前11前後パラオ姉妹艦早波水上機母艦秋津洲トラック島空襲損傷中)が到着する。この少し前、「空母を含む敵大部パラオ接近」の報告により、遊撃部隊指揮官栗田健男第二艦隊司令長官)はパラオ在泊艦艇第四戦隊第五戦隊第二水雷戦隊工作艦明石他)のダバオ(フィリピンミンダナオ島)への回航命じる。当時第二水雷戦隊旗艦重巡洋艦鳥海だった。二水司令部鳥海から浜波に移動本艦第二水雷戦隊旗艦となる。二水戦(浜波、早波藤波)はパラオ水道対潜掃蕩実施するが、直後に「敵機部隊」は誤報だったことが判明したダバオ回航命令命令取り消される二水戦旗艦は鳥海戻った3月中旬高崎船団護衛したあと、タンカー護衛任務従事する4月中旬リンガ泊地移動して訓練従事した4月15日第32駆逐隊司令中原義一郎大佐から折田雄大佐に交代した中原大佐5月8日附で軽巡洋艦長良艦長任命されるが、8月7日の同艦沈没時に戦死した中原海軍中将特進)。

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