船団護衛、対潜掃討任務とは? わかりやすく解説

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船団護衛、対潜掃討任務

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/06 09:50 UTC 版)

鹿島 (練習巡洋艦)」の記事における「船団護衛、対潜掃討任務」の解説

1945年昭和20年1月1日船団護衛のため第一護衛艦隊に第102戦隊司令官浜田少将)が編制され旗艦鹿島海防艦6隻(屋代御蔵2号33号34号、35号)が編入した。対潜攻撃力増強する改修工事施した後、2月海防艦第14号第16号、第46号と共にモタ36船団めるぼるん丸、日昌丸)を上海まで護衛した22日から3月12日までAS1作戦(対潜掃討作戦北緯32度線以南中国沿岸)の指揮を執った。3月13日から17日までは台湾海峡北部から揚子江口までの対潜掃討作戦(AS2作戦)が、また19日から対馬海峡から黄海南部までの対潜掃討作戦(AS3作戦)が行われた。 5月朝鮮半島沿岸での対潜掃討従事した5月19日巨済島沖で貨物船大進丸と衝突し鹿島艦首小破鎮海応急修理入った7月102戦隊外れて舞鶴入港し修理完了させた後、北陸から東北にかけての北部日本海対潜掃海作戦指揮するため海防艦高根来、竹生と共に七尾湾移動8月終戦迎えた8月22日呉に寄港した10月5日帝国軍艦籍を除籍され復員輸送艦となった10月23日には第4艦隊所属時に管轄しヤルート島再訪、第62警備隊911人を収容するなど、12回に渡る復員輸送活躍した1946年昭和21年11月26日から翌1947年昭和22年6月15日にかけて川南工業香焼島造船所解体された。

※この「船団護衛、対潜掃討任務」の解説は、「鹿島 (練習巡洋艦)」の解説の一部です。
「船団護衛、対潜掃討任務」を含む「鹿島 (練習巡洋艦)」の記事については、「鹿島 (練習巡洋艦)」の概要を参照ください。

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