昭和18年中盤の行動とは? わかりやすく解説

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昭和18年中盤の行動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/21 04:51 UTC 版)

早波 (駆逐艦)」の記事における「昭和18年中盤の行動」の解説

早波竣工同日7月31日)、藤永田造船所夕雲型駆逐艦11番藤波藤波艦長松崎辰治中佐海兵52期)も竣工した早波藤波は、訓練部隊第十一水戦隊司令官木村進少将海軍兵学校40期)に編入された。内南洋部隊編入中の第6駆逐隊除き第十一水戦隊軽巡洋艦龍田旗艦〕、駆逐艦9月1日附で第9駆逐隊編入〉、若月8月15日附で第61駆逐隊編入〉、涼波〈浦賀船渠建造艦7月27日編入〉、早波藤波、響〈8月中旬内地帰投〉)は日本本土訓練従事した8月17日主力部隊戦艦大和長門扶桑〉、空母大鷹巡洋艦愛宕高雄能代〉、駆逐艦部隊涼風海風秋雲夕雲若月天津風初風〉)は呉を出撃トラックに向かう。第十一水戦隊早波、涼波、藤波)は、主力部隊航路前方哨戒従事した8月20日日本海軍夕雲型駆逐艦3隻(涼波、早波藤波)により第32駆逐隊編成する初代32司令は、白露型駆逐艦夕立初代艦長陽炎型駆逐艦時津風初代艦長等歴任した中原義一郎大佐海軍兵学校48期)(中原大佐は、7月8日まで第24駆逐隊司令)。 8月21日駆逐艦4隻(響〔旗艦〕、涼波、藤波早波)は扶桑型戦艦山城当時砲術学校練習艦として使用横須賀在泊)の内海西部回航護衛することになった十一水戦は、島風型駆逐艦島風第二水雷戦隊所属)の訓練協力しつつ、横須賀移動した8月26日、5隻(山城〔第11水雷戦隊旗艦〕、響、涼波、藤波早波)は横須賀出発翌日瀬戸内海到着したその後も、第十一水戦隊各艦は訓練実施した9月30日付で、第32駆逐隊第二水雷戦隊司令官高間少将海軍兵学校41期)に編入される引き続き第十一水戦隊指揮受けた。また10月1日附で第32駆逐隊夕雲型駆逐艦玉波藤永田造船所建造玉波駆逐艦長青木久中佐海兵50期)が編入され、同隊は夕雲型4隻(涼波、藤波早波玉波)を揃えた。ただし玉波空母隼鷹等を護衛しており、32本隊とは別行動である。 9月下旬連合艦隊戦艦山城航空戦艦伊勢および第十一水戦隊により丁三号輸送部隊編成した。これは、日本陸軍支隊支隊長は山中萬次郎大佐歩兵107聯隊長)の一部カロリン諸島ポナペ島輸送する任務である。甲支隊輸送は二回にわけて行われることになり、丁三号輸送部隊第二次輸送であった10月15日、丁三号輸送部隊山城第十一水戦隊旗艦〕、伊勢龍田第32駆逐隊早波、涼波、藤波〉)は、佐伯および豊後水道出撃する10月20日トラック諸島到着した戦艦搭載物件を、各艦と輸送船4隻に移載する。第十一水戦隊龍田旗艦〕、早波、涼波、藤波)は三回次にわたり、ポナペ輸送ポンペイ島)を実施した10月28日、丁三号輸送部隊解散した同日附で第32駆逐隊第二水雷戦隊復帰する遊撃部隊警戒所属第十一水戦隊龍田山城伊勢)は空母隼鷹雲鷹と共に内地戻っていった。

※この「昭和18年中盤の行動」の解説は、「早波 (駆逐艦)」の解説の一部です。
「昭和18年中盤の行動」を含む「早波 (駆逐艦)」の記事については、「早波 (駆逐艦)」の概要を参照ください。

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