昭和18年中旬の行動とは? わかりやすく解説

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昭和18年中旬の行動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/29 08:20 UTC 版)

玉波 (駆逐艦)」の記事における「昭和18年中旬の行動」の解説

玉波4月30日竣工と共に訓練部隊第十一水戦隊編入された。瀬戸内海回航され訓練を受ける。5月5日十一水戦司令官旗艦龍田から玉波変更した同月9日玉波から秋月型駆逐艦新月かわった5月中旬以降島風駆逐艦島風秋月型駆逐艦若月十一水戦編入され本艦と共に訓練おこなった6月8日桂島泊地所在の各艦(第十一水戦隊大淀最上長門扶桑)等は、長門型戦艦陸奥爆沈遭遇した十一水戦木村少将龍田座乗指揮下で救助活動従事する6月22日十一水戦所属若月玉波大和型戦艦武蔵護衛艦指定され、同任務のために横須賀に向かう。6月23日朝、横須賀着いた到着後まもなく、神子元島沖合アメリカ潜水艦ハーダー (USS Harder, SS-257) の雷撃をうけた特設運送艦相良丸日本郵船、7,189トン) の救難下令される。相良丸駆逐艦澤風曳航され、翌24日になり天竜川河口擱座した。 6月25日駆逐艦4隻は戦艦武蔵護衛して横須賀出発した武蔵豊後水道通過し6月27日に呉到着玉波若月内海西部到着した同時期、第三次ソロモン海戦で舵の故障により戦艦比叡自沈したことをふまえ、大型艦曳航する訓練おこなわれる玉波若月戦艦長門(舵故障想定)を曳航し12ノット曳航することができたという。 7月1日付で玉波第二水雷戦隊司令官伊崎俊二少将海軍兵学校42期)に編入され前進部隊指揮官近藤信竹海軍中将第二艦隊司令長官所属となる。出撃準備中7月7日玉波駆逐艦長佐間中佐から青木久中佐交代した後日佐間中佐駆逐艦冬月艦長等歴任した7月中旬日本海軍南海第四守備隊最前線輸送する当初、同部隊マーシャル諸島配備予定だった。だがニュージョージア島の戦い生起によりソロモン諸島配備先変更したという経緯があった。7月9日-10日玉波水上機母艦日進護衛して呉を出撃した。第一航空戦隊第三艦隊司令長官小沢治三郎中将)と合流する玉波小沢中将指揮下の航空母艦航空巡洋艦最上等と合流し日本本土離れる7月15日暗号解読僚艦からの通報によりアメリカ潜水艦ティノサ (USS Tinosa, SS-283) とポーギー (USS Pogy, SS-266) などがトラック諸島近海小沢艦隊待ち伏せていた。ティノサも距離3500mで魚雷4本を発射する回避され小沢艦隊被害はなかった。同日トラック諸島到着するトラック着後の玉波軽巡洋艦五十鈴第十四戦隊)の指揮下に入り五十鈴玉波空母瑞鳳より輸送人員物件受け入れる。7月16日午前7時五十鈴玉波トラック泊地出撃した。7月19日五十鈴玉波ナウル島到着輸送任務終えた7月22日朝、トラック帰る玉波航海中の7月20日第二水雷戦隊司令官高間少将軽巡長良二水戦旗艦とした。7月23日玉波駆潜艇28号タンカー3隻(富士山丸日栄丸、東亜丸)を護衛してトラック出撃パラオ方面に向かう。7月24日トラック西方においてローレンス・R・ダスピット艦長指揮するアメリカ潜水艦ティノサ (USS Tinosa, SS-283) が特設給油艦第三図南丸襲撃する魚雷15本が第三図南丸命中したが、起爆したのは2本もしくは3本けだった第三図南丸航行不能になり、玉波日栄丸船団の護衛をやめて救援に向かう。7月25日から雄島特設工作艦)、軽巡五十鈴神風型駆逐艦朝凪等の救援を受ける。玉波応援艦艇と共に五十鈴第三図南丸曳航中)の指揮下に入り、同艦を護衛した第三図南丸トラック泊地に戻ることができた。 8月初旬玉波トラック泊地所在であった3日から5日にかけて、陽炎型駆逐艦磯風(第17駆逐隊)と行動を共にした。磯風玉波タンカー旭東丸を護衛してトラック出撃する予定通り途中で護衛をやめ、内地からトラック泊地進出中の戦艦武蔵連合艦隊旗艦)や第五戦隊合流側方警戒となった8月5日未明アメリカ潜水艦スティールヘッド (USS Steelhead, SS-280) が主力部隊襲撃空母雲鷹狙って魚雷攻撃を行うが、命中しなかった。同日武蔵以下の主力部隊トラック泊地到着した磯風玉波警戒任務終えた8月14日玉波船団4隻(北安丸、神州丸天南丸、健洋丸)を護衛してトラック泊地出撃する19日パラオ着いた玉波臨時ニューギニア方面防備部隊編入されていたため、23日から25日にかけて、陸軍輸送船団護衛艦白鷹)の護衛従事する同月28日玉波は「八二八三船団」 のタンカー3隻(鶴見東亜丸富士山丸護衛艦としてパラオ出撃する9月2日、八二八三船団はトラック泊地到着した玉波船団護衛任務従事中、第二水雷戦隊旗艦軽巡長良から阿賀軽巡洋艦能代昭和18年6月30日竣工) に交代した9月10日玉波東亜丸護衛してトラック泊地出撃する分離直後東亜丸雷撃されたので、対潜掃蕩をおこなう。その後トラック泊地戻った9月18日第三艦隊司令長官小沢治三郎中将海軍兵学校37期)と第二艦隊司令長官栗田健男中将海軍兵学校38期)のマーシャル諸島方面への出撃に際して第二水雷戦隊連合機動部隊組み込まれた。連合機動部隊は、第三艦隊第二艦隊主力艦艇によって編成されていた。玉波第三艦隊付属タンカー日栄丸(日東汽船10,020トン)を護衛してトラック出撃した。連合機動部隊は、ブラウン環礁移動した基地航空隊出撃したのみで、連合機動部隊米軍直接交戦することはなかった。玉波機動部隊前衛編入される9月23日連合機動部隊ブラウン環礁撤収する。トラック泊地戻った9月29日内地帰投部隊空母隼鷹軽巡木曾軽巡多摩玉波トラック出発した豊後水道通過10月5日、呉に帰着した

※この「昭和18年中旬の行動」の解説は、「玉波 (駆逐艦)」の解説の一部です。
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