昭和18年中旬の行動
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「玉波 (駆逐艦)」の記事における「昭和18年中旬の行動」の解説
玉波は4月30日の竣工と共に、訓練部隊の第十一水雷戦隊に編入された。瀬戸内海に回航され訓練を受ける。5月5日、十一水戦司令官は旗艦を龍田から玉波に変更した。同月9日、玉波から秋月型駆逐艦新月にかわった。5月中旬以降、島風型駆逐艦島風や秋月型駆逐艦若月も十一水戦に編入され、本艦と共に訓練おこなった。 6月8日、桂島泊地所在の各艦(第十一水雷戦隊、大淀、最上、長門、扶桑)等は、長門型戦艦陸奥の爆沈に遭遇した。十一水戦は木村少将(龍田座乗)指揮下で救助活動に従事する。 6月22日、十一水戦所属の若月と玉波は大和型戦艦武蔵の護衛艦に指定され、同任務のために横須賀に向かう。6月23日朝、横須賀に着いた。到着後まもなく、神子元島沖合でアメリカ潜水艦ハーダー (USS Harder, SS-257) の雷撃をうけた特設運送艦相良丸(日本郵船、7,189トン) の救難を下令される。相良丸は駆逐艦澤風に曳航され、翌24日になり天竜川河口に擱座した。 6月25日、駆逐艦4隻は戦艦武蔵を護衛して横須賀を出発した。武蔵は豊後水道を通過し、6月27日に呉到着。玉波と若月も内海西部に到着した。同時期、第三次ソロモン海戦で舵の故障により戦艦比叡が自沈したことをふまえ、大型艦を曳航する訓練がおこなわれる。玉波と若月は戦艦長門(舵故障想定)を曳航し、12ノットで曳航することができたという。 7月1日付で玉波は第二水雷戦隊(司令官伊崎俊二少将、海軍兵学校42期)に編入され、前進部隊(指揮官近藤信竹海軍中将、第二艦隊司令長官)所属となる。出撃準備中の7月7日、玉波駆逐艦長は佐間中佐から青木久治中佐に交代した。後日、佐間中佐は駆逐艦冬月艦長等を歴任した。 7月中旬、日本海軍は南海第四守備隊を最前線に輸送する。当初、同部隊はマーシャル諸島配備予定だった。だがニュージョージア島の戦い生起によりソロモン諸島に配備先を変更したという経緯があった。7月9日-10日、玉波は水上機母艦日進 を護衛して呉を出撃した。第一航空戦隊(第三艦隊司令長官小沢治三郎中将)と合流する。玉波は小沢中将指揮下の航空母艦や航空巡洋艦最上等と合流し、日本本土を離れる。7月15日、暗号解読や僚艦からの通報によりアメリカの潜水艦ティノサ (USS Tinosa, SS-283) とポーギー (USS Pogy, SS-266) などがトラック諸島近海で小沢艦隊を待ち伏せていた。ティノサも距離3500mで魚雷4本を発射するが回避され、小沢艦隊に被害はなかった。同日、トラック諸島に到着する。トラック着後の玉波は軽巡洋艦五十鈴(第十四戦隊)の指揮下に入り、五十鈴と玉波は空母瑞鳳より輸送人員や物件を受け入れる。7月16日午前7時、五十鈴と玉波はトラック泊地を出撃した。7月19日、五十鈴と玉波はナウル島に到着、輸送任務を終えた。7月22日朝、トラックに帰る。 玉波航海中の7月20日、第二水雷戦隊司令官高間完少将は軽巡長良 を二水戦旗艦とした。7月23日、玉波と駆潜艇28号はタンカー3隻(富士山丸、日栄丸、東亜丸)を護衛してトラックを出撃、パラオ方面に向かう。7月24日、トラック西方においてローレンス・R・ダスピット艦長が指揮するアメリカ潜水艦ティノサ (USS Tinosa, SS-283) が特設給油艦第三図南丸を襲撃する。魚雷15本が第三図南丸に命中したが、起爆したのは2本もしくは3本だけだった。第三図南丸は航行不能になり、玉波は日栄丸船団の護衛をやめて救援に向かう。7月25日から雄島(特設工作艦)、軽巡五十鈴、神風型駆逐艦朝凪等の救援を受ける。玉波は応援艦艇と共に五十鈴(第三図南丸曳航中)の指揮下に入り、同艦を護衛した。第三図南丸はトラック泊地に戻ることができた。 8月初旬、玉波はトラック泊地所在であった。3日から5日にかけて、陽炎型駆逐艦磯風(第17駆逐隊)と行動を共にした。磯風と玉波はタンカー旭東丸を護衛してトラックを出撃する。予定通り途中で護衛をやめ、内地からトラック泊地へ進出中の戦艦武蔵(連合艦隊旗艦)や第五戦隊 に合流、側方警戒隊となった。8月5日未明、アメリカ潜水艦スティールヘッド (USS Steelhead, SS-280) が主力部隊を襲撃、空母雲鷹を狙って魚雷攻撃を行うが、命中しなかった。同日、武蔵以下の主力部隊はトラック泊地に到着した。磯風と玉波も警戒任務を終えた。 8月14日、玉波は船団4隻(北安丸、神州丸、天南丸、健洋丸)を護衛してトラック泊地を出撃する。19日、パラオに着いた。玉波は臨時にニューギニア方面防備部隊に編入されていたため、23日から25日にかけて、陸軍輸送船団(護衛艦白鷹)の護衛に従事する。同月28日、玉波は「八二八三船団」 のタンカー3隻(鶴見、東亜丸、富士山丸) 護衛艦としてパラオを出撃する。9月2日、八二八三船団はトラック泊地に到着した。 玉波が船団護衛任務に従事中、第二水雷戦隊旗艦は軽巡長良から阿賀型軽巡洋艦能代(昭和18年6月30日竣工) に交代した。9月10日、玉波は東亜丸を護衛してトラック泊地を出撃する。分離直後に東亜丸が雷撃されたので、対潜掃蕩をおこなう。その後、トラック泊地に戻った。 9月18日、第三艦隊(司令長官小沢治三郎中将、海軍兵学校37期)と第二艦隊(司令長官栗田健男中将、海軍兵学校38期)のマーシャル諸島方面への出撃に際して、第二水雷戦隊も連合機動部隊に組み込まれた。連合機動部隊は、第三艦隊と第二艦隊の主力艦艇によって編成されていた。玉波は第三艦隊付属のタンカー日栄丸(日東汽船、10,020トン)を護衛してトラックを出撃した。連合機動部隊は、ブラウン環礁に移動した。基地航空隊が出撃したのみで、連合機動部隊が米軍と直接交戦することはなかった。玉波は機動部隊前衛に編入される。9月23日、連合機動部隊はブラウン環礁を撤収する。トラック泊地に戻った。 9月29日、内地帰投部隊の空母隼鷹、軽巡木曾、軽巡多摩、玉波はトラックを出発した。豊後水道を通過。10月5日、呉に帰着した。
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