昭和18年前半の行動とは? わかりやすく解説

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昭和18年前半の行動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/08 16:52 UTC 版)

巻波 (駆逐艦)」の記事における「昭和18年前半の行動」の解説

新任第二水雷戦隊司令官小柳冨次少将外南洋部隊増援部隊指揮官)は、旗艦を「長波」に指定した増援部隊各艦はラバウルからショートランド泊地進出する。月暗期になり、鼠輸送再開された。1943年昭和18年1月2日午前11時、駆逐艦10隻はショートランド泊地出撃する途中空襲で「涼風」が損傷、「電」に護衛され避退した。水上偵察機協力得て魚雷艇襲撃撃退、他に被害出さず輸送作戦成功した1月4日から7日にかけて、駆逐艦4隻(長波巻波江風荒潮)はショートランド泊地ラバウル往復ラバウルドラム缶積み込むショートランド泊地戻った。また駆逐艦大潮」(第8駆逐隊司令山代勝守大佐座乗)もドラム缶搭載してショートランド到着増援部隊編入される一方二水戦の長波陽炎親潮は艦の疲弊により作戦行動難しくなり、トラック泊地後退することになった1月10日から11日にかけて、二水戦隊司令官駆逐艦8隻でガ島第六輸送作戦実施する二水戦の輸送作戦は、概ね成功した揚陸中、米軍魚雷艇攻撃駆逐艦初風」が大破する。同艦は、僚艦曳航されて撤退した小柳少将は第4駆逐隊司令有賀幸作大佐と各艦を賞賛した。 本作をもって二水司令官増援部隊指揮官職務第十戦隊司令官引き継ぎ、「長波」に乗艦してトラック泊地戻った1月11日第六ガダルカナル島輸送作戦終えた駆逐艦4隻(江風巻波大潮荒潮)はニューギニア方面護衛部隊に編入されショートランド泊地出発してラバウル向かった1月中旬ガダルカナル島撤退内定していた日本海軍は、それまで手がまわらなかった北部ソロモンブーゲンビル島ブカ島など)と中部ソロモンニュージョージア諸島サンタイサベル島など)の防備強化乗り出したガ島飛行場砲撃目的編制され第八聯合特別陸戦隊司令官大田実少将海兵41期)が、この方面に配備されることになった外南洋部隊各艦はソロモン諸島防備強化協力輸送船護衛駆逐艦輸送従事する。また東部ニューギニア戦局逼迫しており、並行してニューギニア方面増援輸送おこなった日本軍中国大陸所在第二十師団第四十一師団ラバウル方面投入決定し、この輸送作戦を「丙号輸送」と呼称第九戦隊司令官岸福治少将輸送部隊指揮官となった。丙一号輸送部隊軽巡北上軽巡大井輸送船多数)は第二十師団ニューギニア島ウェワク揚陸するよう命じられた。第二特別根拠地隊司令官鎌田道章少将は2隻(巻波、第34駆潜艇)で大発動艇搭載した陸軍輸送船2隻を護衛しウェワク進出することになった1月14日輸送部隊ラバウル出発18日ウェワク進出した1月19日から23日にかけて輸送船団ウェワク到着、丙一号輸送損害なく完了した1月20日第31駆逐隊夕雲型駆逐艦7番艦「大波」(同年12月29日竣工藤永田造船所)が編入され、同隊は3隻(長波巻波大波となった大波1月25日トラック泊地着)。大波駆逐艦長吉川潔中佐は、人見巻波艦長)とは海軍兵学校50期同期である。 1月21日輸送船団救援中の秋月型駆逐艦秋月」(第十戦隊旗艦)が米潜水艦ノーチラス)に雷撃され損傷したその際第十戦隊司令官木村進少将負傷したため、第二水雷戦隊司令官小柳冨次少将21日付で第十戦隊司令官任命された。後任二水司令官伊崎俊二少将海軍兵学校42期) である。小柳少将1月23日に退隊してラバウル移動する伊崎司令官1月30日着任し、「神通」に将旗掲げた詳細は「ガダルカナル島撤収作戦」を参照 ガダルカナル島撤退作戦のため、連合艦隊南東方面部隊指揮官草鹿任一南東方面艦隊司令長官)の駆逐艦増強、また撤退作戦における予備指揮官として第三水雷戦隊三水司令部川内白雪)を編入した。これらの増強戦力は、ただちに南東方面部隊麾下外南洋部隊編入された。1月25日第三水雷戦隊司令官橋本信太郎少将海軍兵学校41期) は駆逐艦白雪」に乗艦してラバウルからショートランド泊地移動27日ショートランド到着すると「巻波」に三水司令官将旗掲げた1月29日レンネル島沖海戦ガ島航空撃滅戦、ルッセル島占領経て日本軍ガ島撤収作戦発動するアメリカ軍日本軍陽動作戦を「ガ島対す増援作戦」と判断しガ島地上部隊行動鈍った第一次撤収部隊兵力部署は、ガダルカナル島エスペランス岬へ向かう第三水雷戦隊と、同島のカミンボに向かう別働隊わかれていた。三水司令官指揮下のエスペランス隊は、警戒隊(三水戦旗艦〈巻波〉、一番隊〈第4駆逐隊司令有賀幸作大佐舞風江風黒潮〉、二番隊白雪文月〉)、輸送隊第十戦隊司令官小柳冨次少将第10駆逐隊風雲巻雲夕雲秋雲〉、第17駆逐隊谷風浦風浜風磯風〉)であった。第16駆逐隊司令荘司喜一大佐指揮下のカミンボ隊は、第16駆逐隊時津風雪風)、第8駆逐隊大潮荒潮)、三番隊皐月長月であった31日撤収部隊ショートランド泊地出撃するが、南東方面部隊命令により作戦中止された。ガダルカナル島サボ島周辺に米水上部隊確認されたため、日本軍基地航空隊空襲敢行し、駆逐艦ド・ヘイヴン (USS De Haven, DD-469) を撃沈している(イサベル島沖海戦)。ショートランド泊地連合国軍機に空襲されたが、撤収部隊被害はなかった。 2月1日午前9時30分、第一次撤収部隊駆逐艦20隻は再度ショートランド泊地出撃した。「巻波」は第三水雷戦隊司令官橋本信太郎少将旗艦としてガダルカナル島向かった同日夕刻撤収部隊零戦18機の掩護下で、ヘンダーソン基地から飛来し米軍機ワイルドキャット戦闘機 17ドーントレス艦爆 17アヴェンジャー艦攻 7 )と交戦する対空戦闘中、「巻波」の艦右舷爆弾1発が命中して機関部損傷、他に至近弾による損傷もうけ、航行不能となる。36名が戦死戦傷者多数。十戦隊司令官小柳冨次少将は「我今ヨリ指揮ヲ執ル」を打電損傷した巻波」と護衛駆逐艦文月」と「白雪」を残して進撃した橋本少将旗艦を「巻波」から「白雪」に変更し先行部隊追いかけガ島向かった。「巻波」は「文月」に曳航されて退避することになった。 「巻波」の損傷戦線離脱後、橋本司令官は「夕雲」と「巻雲」を輸送隊から警戒隊に編入した。撤収作戦中に巻雲」は米軍敷設した機雷により大破、「夕雲」により自沈処分となったその他に被害はなく、第一次撤収作戦成功した山本五十六連合艦隊司令長官小柳少将第十戦隊司令官)に「巻波がやられ、『我今より指揮執る』の電報接したときは、この先どうなるかと心配した」と語ったという。2月2日10時30分、「文月」に曳航された「巻波」はショートランド到着した同地応急修理工事実施するショートランド泊地からラバウルまでは、自力撤退したガ島撤収作戦ケ号作戦成功後連合艦隊兵力再編実施、「巻波」も原隊復帰した2月12日、「高波沈没時に戦死した清水第31駆逐隊司令後任として、香川清登大佐海軍兵学校46期)が補職される。香川司令は、31司令駆逐艦を「大波」に指定する2月25日夕雲型駆逐艦8番艦「清波」(駆逐艦長有馬時吉中佐同年1月25日竣工浦賀船渠)が第31駆逐隊編入され31駆は夕雲定数4隻(第1小隊大波、清波/第2小隊巻波長波)を揃えた巻波艦長人見中佐大波艦長吉川中佐、清波艦長有馬中佐長波艦長の隈部伝中佐11月25日免職)は、4人とも海軍兵学校50期同期生である。 2月27日、「巻波」は輸送船護衛してラバウル出発した3月2日以降トラック応急修理行った3月29日、「巻波」の修理舞鶴で行う事が決まる。4月15日、「巻波」は給糧艦間宮」と特設運送艦「総洋丸」(東洋汽船、6,081トン)を護衛してトラック泊地出発した。2隻(間宮、総洋丸) と分離後4月24日舞鶴到着した同日から9月中旬まで、「巻波」は舞鶴海軍工廠本格的な復旧工事実施した後述)。

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昭和18年前半の行動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/13 03:39 UTC 版)

大波 (駆逐艦)」の記事における「昭和18年前半の行動」の解説

1943年昭和18年1月16日前年9月25日から第二水雷戦隊旗艦だった軽巡五十鈴」は、もともと所属していた第十六戦隊転出した第二次ソロモン海戦損傷後呉海軍工廠修理していた軽巡神通」が、第二水雷戦隊復帰する1月20日、「大波」は呉鎮守府直率部隊重巡洋艦青葉ほか)から除かれ第二水雷戦隊司令官小柳冨次少将隷下第31駆逐隊編入された。31駆は前年末のルンガ沖夜戦夕雲型駆逐艦高波」が沈没し夕雲4番艦「長波」と5番艦「巻波」に減少していた。 同日以降、「大波」は呉を出港する重巡洋艦愛宕」と軽巡洋艦長良」(途中合流)をトラック泊地まで護衛する長良艦長篠田勝清大佐指揮下の3隻(長良愛宕大波)は、1月25日トラック到着した。「大波」は姉妹艦長波」と合流した2月初旬ガダルカナル島撤退作戦ケ号作戦)で、第31駆逐隊分散配備された。修理要する長波」はトラック泊地待機した。「巻波」は撤収部隊旗艦指揮官橋本信太郎第三水雷戦隊司令官)として行動していたが、第一次撤収作戦被弾航行不能となった。他に夕雲姉妹艦巻雲」が触雷し、自沈処分となった。「大波」は前進部隊指揮官近藤信竹第二艦隊長官旗艦愛宕)の指揮下で、牽制部隊として行動するケ号作戦成功受けて連合艦隊司令長官山本五十六大将トラック泊地主力艦内地帰投させる。「大波」および駆逐艦時雨」も、第三戦隊司令官栗田健男中将指揮する回航部隊に加わることになった。また前年ルンガ沖夜戦高波沈没時)で戦死した清水利夫第31駆逐隊司令後任として、2月12日付で香川清登大佐任命されている。31司令駆逐艦も「大波」に変更された。 2月15日第三戦隊(金剛榛名)、空母2隻(隼鷹冲鷹)、水上機母艦日進」、重巡鳥海」(第八艦隊)と「利根」(第八戦隊)、駆逐艦複数隻(時雨大波黒潮陽炎、嵐)はトラック泊地出港する悪天候のため航空隊収容できなかった隼鷹隊(隼鷹陽炎黒潮)のみトラック引き返した19日鳥海隊(鳥海冲鷹、嵐、大波)は佐世保舞鶴へ向かう艦艇分離する20日鳥海隊は横須賀帰投した。 2月25日夕雲型駆逐艦8番艦「清波」が第31駆逐隊配属され31駆は夕雲定数4隻(長波巻波大波、清波)を揃えた31駆は健在第1小隊大波、清波)と修理整備要する第2小隊長波巻波)にわかれた2月28日、「大波」と陽炎型駆逐艦萩風」は空母冲鷹」を護衛して横須賀出港しトラック進出した3月5日トラック到着以後トラック周辺での対潜掃討輸送作戦従事する3月8日特設巡洋艦盤谷丸」(大阪商船、5,351トン)および「西貢丸」(大阪商船、5,350トン)が、二水戦の「海風」と「清波」の護衛下でトラック泊地到着した輸送船2隻には佐世保鎮守府第七特別陸戦隊司令菅井武雄中佐)が分乗していた。当初佐鎮七特はニュージョージア島ムンダ派遣される予定だったが、連合艦隊協議結果配備先ギルバート諸島タラワ変更された。同時期の日本海軍は、ギルバート諸島防備強化乗り出していたという事情がある。「大波」と「清波」は輸送船2隻をタラワまで護衛することになった。清波の有馬艦長大波吉川艦長佐鎮七特の菅井中佐海軍兵学校50期同期生で、親密な関係であったという。3月12日輸送部隊大波、清波、盤谷丸、西貢丸)はトラック出港した3月17日船団タラワ到着し海軍陸戦隊揚陸する。3月20日輸送部隊タラワ出発する。「清波」はクェゼリン環礁回航され、別行動となった。「大波」は輸送船護衛して26日サイパン島到着翌日出発し29日トラック到着した4月9日31駆2隻(大波、清波)は内南洋部隊編入される5月10日までの間、第四根拠地隊および第二海上護衛隊指揮下にてトラックラバウルカビエン方面との船団護衛従事した第31駆逐隊第1小隊大波、清波)は5月10日第二海上護衛隊第四根拠地隊)の指揮下を離れた後も、引き続きトラック泊地周辺での間接護衛任務就いた5月中旬にはトラックから日本本土へ戻る駆逐艦春雨」、補給艦間宮」以下輸送船団護衛途中まで実施した6月10日第二水雷戦隊第四水雷戦隊一部艦艇マーシャル諸島への輸送任務命じられた。6月13日、「大波」はトラック出撃するブラウン環礁ルオットクェゼリン環礁ここから第十御影丸を護衛)、タロア島マキン島経由6月26日トラック泊地戻った

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