篠田勝清とは? わかりやすく解説

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篠田勝清

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/31 21:07 UTC 版)

篠田 勝清(しのだ かつきよ、1895年明治28年)5月27日 - 1944年昭和19年)10月25日)は、日本海軍軍人。最終階級は海軍中将福岡県出身。

略歴

福岡県立中学修猷館を経て、海軍兵学校第44期入校。卒業時成績順位は95名中第22位。1944年(昭和19年)10月25日、レイテ沖海戦において戦艦山城の艦長として戦い、敵からの集中攻撃を受け、西村祥治司令官と共に沈みゆく艦と運命を共にした。享年49。

年譜

参考文献

  • 日本陸海軍の制度・組織・人事(日本近代史料研究会編・東京大学出版会
  • 日本陸海軍総合事典(秦郁彦編・東京大学出版会)



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