昭和18年後半の行動
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「大波 (駆逐艦)」の記事における「昭和18年後半の行動」の解説
7月上旬、「大波」は特設水上機母艦「山陽丸」と特設給兵船「興業丸」(岡田商船、6,353トン)を護衛して内地に帰投する。7月11日、「山陽丸」は呉に到着する。「大波」も呉で修理と整備を行った。7月18日-19日、駆逐艦「大波」と吹雪型駆逐艦「漣」は特設給兵船「日朗丸」(日産汽船、6,534トン)と「日威丸」(日産汽船、6,542トン)を護衛して瀬戸内海を出撃した。2隻には南海第四守備隊(隊長、道下義行陸軍大佐)の第二次進出部隊が分乗していた。 「大波」が航海中の7月19-20日、姉妹艦の「清波」はニュージョージア島の戦いにともなうコロンバンガラ島夜襲作戦および輸送作戦に参加、夜間空襲をうけ駆逐艦「夕暮」共に撃沈された。日本海軍は7月20日付で第四水雷戦隊(司令官高間完少将)を解隊する。コロンバンガラ島沖海戦で旗艦「神通」沈没時に戦死した第二水雷戦隊司令官伊崎俊二少将の後任として、高間完少将を二水戦司令官に任命する。四水戦戦力と二水戦残存部隊を合流させ、第二水雷戦隊を再建することになった。 7月28日、4隻(大波、漣、日威丸、日朗丸)はトラック泊地に到着した(その後、輸送船はラバウル進出)。8月4日、「大波」と陽炎型駆逐艦「舞風」は空母「大鷹」と共にトラックを出港する。「舞風」は同日夕刻に分離したため、空母の護衛は「大波」1隻となった。8月6日13時、対空訓練のため「大鷹」は之字運動をやめ速力18ノットで直進していた。この時、アメリカの潜水艦パイク (USS Pike, SS-173) が魚雷6本を発射した。大鷹右舷中央部(煙突附近)に魚雷1本が命中したが不発だった。「大鷹」は潜望鏡に向けて高角砲と機銃を発砲、後方の「大波」も制圧射撃に加わったが、パイクは損傷なく離脱して行った。8月9日、「大鷹」は横須賀に到着した。 「大波」は舞鶴に回航されて8月12日に到着、舞鶴海軍工廠にて姉妹艦(長波、巻波)や軽巡2隻(名取、長良)、駆逐艦複数隻(不知火、初春、太刀風等)と共に修理を実施した。当時の舞鶴では、多数の駆逐艦を同時に建造中だった。 9月上旬、第31駆逐隊各艦(長波、大波、巻波)の修理が完了する。日本海軍は丁一号輸送部隊(空母〈隼鷹〉、軽巡〈木曾、多摩〉、駆逐艦〈大波、谷風〉)を編成し、第52師団より抽出された甲支隊をポナペ島へ輸送することになった。輸送作戦は数回にわけて実施され、「大波」は特設巡洋艦「粟田丸」を護衛して9月18日に広島県宇品を出撃する。「大波」と「粟田丸」は9月26日ポナペに到着。30日に同地を出発、10月1日トラック泊地に到着した。第一次進出部隊は損害なく進出を完了し、丁一号輸送部隊は27日付(連合艦隊電令作第724号)をもって解散した。 10月15日、「清波」の除籍にともない、第31駆逐隊は夕雲型3隻(長波、巻波、大波)に減少した。この頃の第二水雷戦隊(能代、第24駆逐隊、第31駆逐隊、島風など)は連合艦隊(司令長官古賀峯一大将、参謀長福留繁中将)が指揮する主力部隊(戦艦部隊、機動部隊〈指揮官小沢治三郎第三艦隊司令長官〉、遊撃部隊〈指揮官栗田健男第二艦隊司令長官〉)と行動をともにしてエニウェトク環礁に進出した。 11月初旬、第31駆逐隊はろ号作戦にともなうカビエンへの輸送任務に従事した。第十戦隊司令官を指揮官とする輸送部隊のうち、第二部隊(大波、風雲)として10月31日トラックを出発、11月1日カビエンに到着した。11月6日にラバウルに進出し、第十戦隊(司令官大杉守一少将)の指揮下に入ってブーゲンビル島タロキナ輸送に参加した。同作戦は、支援部隊(指揮官:第十戦隊司令官、第一支援隊〈阿賀野、若月、風雲、浦風〉、第二支援隊〈能代、早波、長波〉)、挺身輸送部隊(指揮官香川31駆司令、警戒隊〈大波、巻波〉、輸送隊〈天霧、文月、卯月、夕凪〉)により実施された。輸送部隊は11月7日0007にタロキナ泊地着後、午前1時迄に揚陸を完了する。同日1000、ラバウルに帰投した。またブカ島輸送を終えた3隻(夕張、水無月、時雨)も同港に到着した。 詳細は「ラバウル空襲」を参照 11月11日、ラバウルはアメリカ軍機動部隊による大規模空襲を受けた。第二水雷戦隊では、第32駆逐隊(藤波、早波、涼波)から「涼波」が沈没した。31駆僚艦「長波」も大破した。「大波」は「長波」を曳航しようとしたが、ワイヤーがスクリューに絡まったため、曳航は「巻波」が行うことになった。他の第二水雷戦隊各艦に被害はなかったが、「阿賀野」など数隻に被害があった。第二水雷戦隊・第十戦隊の大部分は、損傷艦を護衛してラバウルから撤収した。ラバウルに残る第二水雷戦隊は第31駆逐隊(大波、巻波、長波〈航行不能〉)となった。他の第二水雷戦隊各艦は、各方面に分散して行動していた。31駆(大波、巻波、長波)は襲撃部隊(第三水雷戦隊)僚艦と共にラバウルで待機・訓練・修理をおこなう。
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