昭和18年後半の行動とは? わかりやすく解説

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昭和18年後半の行動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/13 03:39 UTC 版)

大波 (駆逐艦)」の記事における「昭和18年後半の行動」の解説

7月上旬、「大波」は特設水上機母艦山陽丸」と特設給兵船興業丸」(岡田商船、6,353トン)を護衛して内地帰投する。7月11日、「山陽丸」は呉に到着する。「大波」も呉で修理整備行った7月18日-19日駆逐艦大波」と吹雪型駆逐艦「漣」は特設給兵船日朗丸」(日産汽船、6,534トン)と「日威丸」(日産汽船、6,542トン)を護衛して瀬戸内海出撃した。2隻には南海第四守備隊隊長道下義行陸軍大佐)の第二次進出部隊分乗していた。 「大波」が航海中の7月19-20日、姉妹艦の「清波」はニュージョージア島の戦いにともなうコロンバンガラ島夜襲作戦および輸送作戦参加夜間空襲をうけ駆逐艦夕暮」共に撃沈された。日本海軍7月20日付で第四水雷戦隊司令官高間少将)を解隊する。コロンバンガラ島沖海戦旗艦神通沈没時に戦死した第二水雷戦隊司令官伊崎俊二少将後任として、高間少将二水司令官任命する。四水戦戦力二水残存部隊を合流させ、第二水雷戦隊再建することになった7月28日、4隻(大波、漣、日威丸、日朗丸)はトラック泊地到着したその後輸送船ラバウル進出)。8月4日、「大波」と陽炎型駆逐艦舞風」は空母大鷹と共にトラック出港する。「舞風」は同日夕刻分離したため、空母護衛は「大波」1隻となった8月6日13時、対空訓練のため「大鷹」は之字運動をやめ速力18ノット直進していた。この時、アメリカ潜水艦パイク (USS Pike, SS-173) が魚雷6本を発射した大鷹右舷中央部煙突附近)に魚雷1本が命中した不発だった。「大鷹」は潜望鏡向けて高角砲機銃発砲後方の「大波」も制圧射撃加わったが、パイク損傷なく離脱して行った8月9日、「大鷹」は横須賀到着した。 「大波」は舞鶴回航されて8月12日到着舞鶴海軍工廠にて姉妹艦長波巻波)や軽巡2隻(名取長良)、駆逐艦複数隻(不知火初春太刀風等)と共に修理実施した当時舞鶴では、多数駆逐艦同時に建造中だった。 9月上旬第31駆逐隊各艦(長波大波巻波)の修理完了する日本海軍は丁一号輸送部隊空母隼鷹〉、軽巡木曾多摩〉、駆逐艦大波谷風〉)を編成し、第52師団より抽出された甲支隊ポナペ島輸送することになった輸送作戦数回にわけて実施され、「大波」は特設巡洋艦粟田丸」を護衛して9月18日広島県宇品出撃する。「大波」と「粟田丸」は9月26日ポナペ到着30日同地出発10月1日トラック泊地到着した第一次進出部隊損害なく進出完了し、丁一号輸送部隊27日付(連合艦隊電令作第724号)をもって解散した10月15日、「清波」の除籍にともない第31駆逐隊夕雲型3隻(長波巻波大波)に減少したこの頃第二水雷戦隊能代、第24駆逐隊第31駆逐隊島風など)は連合艦隊司令長官古賀峯一大将参謀長福留繁中将)が指揮する主力部隊戦艦部隊機動部隊指揮官小沢治三郎第三艦隊司令長官〉、遊撃部隊指揮官栗田健男第二艦隊司令長官〉)と行動をともにしてエニウェトク環礁進出した11月初旬第31駆逐隊ろ号作戦にともなうカビエンへの輸送任務従事した第十戦隊司令官指揮官とする輸送部隊のうち、第二部隊大波風雲)として10月31日トラック出発11月1日カビエン到着した11月6日ラバウル進出し第十戦隊司令官大杉守一少将)の指揮下に入ってブーゲンビル島タロキナ輸送参加した同作戦は、支援部隊指揮官第十戦隊司令官第一支援隊〈阿賀野若月風雲浦風〉、第二支援隊〈能代早波長波〉)、挺身輸送部隊指揮官香川31司令警戒隊〈大波巻波〉、輸送隊天霧文月卯月夕凪〉)により実施された。輸送部隊11月7日0007にタロキナ泊地着後、午前1時迄に揚陸完了する同日1000ラバウル帰投した。またブカ島輸送終えた3隻(夕張水無月時雨)も同港に到着した詳細は「ラバウル空襲」を参照 11月11日ラバウルアメリカ軍機動部隊による大規模空襲受けた第二水雷戦隊では、第32駆逐隊藤波早波、涼波)から「涼波」が沈没した31僚艦長波」も大破した。「大波」は「長波」を曳航しようとしたが、ワイヤースクリュー絡まったため、曳航は「巻波が行うことになった。他の第二水雷戦隊各艦に被害はなかったが、「阿賀野」など数隻に被害があった。第二水雷戦隊第十戦隊大部分は、損傷艦護衛してラバウルから撤収したラバウルに残る第二水雷戦隊第31駆逐隊大波巻波長波航行不能〉)となった。他の第二水雷戦隊各艦は、各方面分散して行動していた。31駆(大波巻波長波)は襲撃部隊第三水雷戦隊僚艦と共にラバウル待機訓練修理をおこなう。

※この「昭和18年後半の行動」の解説は、「大波 (駆逐艦)」の解説の一部です。
「昭和18年後半の行動」を含む「大波 (駆逐艦)」の記事については、「大波 (駆逐艦)」の概要を参照ください。

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