道下義行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/18 01:32 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動道下 義行 | |
---|---|
生誕 | 1894年2月20日![]() |
死没 | 1958年6月23日(64歳没) |
所属組織 | ![]() |
軍歴 | 1915年 - 1945年 |
最終階級 | ![]() |
道下 義行(どうげ よしゆき、1894年(明治27年)2月20日 - 1958年(昭和33年)6月23日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。功四級[2]。
経歴・人物
大阪府出身[1][2]。1915年(大正4年)陸軍士官学校第27期卒業[1][2]。
1941年(昭和16年)3月に陸軍歩兵大佐・歩兵第77連隊長(朝鮮軍、第30師団)となり、大東亜戦争に出征[1][2]。ついで、1943年(昭和18年)6月に南海第4守備隊長(第17軍)に転じ、1945年(昭和20年)6月に陸軍少将に進級[1][2]。終戦まで守備隊長としてブーゲンビル島にて抵抗を続けた[1]。
脚注
参考文献
- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
- 道下義行のページへのリンク