昭和18年制式
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「軍服 (大日本帝国陸軍)」の記事における「昭和18年制式」の解説
参謀総長たる元帥陸軍大将(杉山元)。元帥徽章と元帥佩刀(元帥刀)を佩用 陸軍大将。東條英機 陸軍大将。小磯国昭 元帥陸軍大将(杉山元)、3人目が陸軍大将(小磯国昭) 第2総軍司令官たる元帥陸軍大将(畑俊六)。向かって右胸には功一級金鵄勲章(功一級副章)を、左胸には元帥徽章(上)と将官部隊長章(左)を佩用 中央が参謀総長たる陸軍大将(梅津美治郎)。昭和18年制式と昭和13年制式が混在している 陸軍中将。太平洋戦争中後期は略帽を着用することが多かったが、軍帽を廃止したわけではないので軍帽着用の姿もこの他にも多く残っている。牛島満 近衛第1師団長たる陸軍中将。森赳 陸軍中将。樋口季一郎 陸軍少将。防寒帽を着用。小畑信良 陸軍大佐。服部卓四郎 陸軍大尉。盛厚王 昭和18年制式の襟章のみを付した陸軍大尉冬衣 1943年の昭和18年制式および三式は、「昭和18年勅令第774号 陸軍服制中改正」による比較的小規模な改正に基づくものである。改正点は戦況逼迫による軍服の簡略化と、士気の高揚と秩序を維持するための階級や職種の明示化である。 将校准士官においては甲種幹部候補生や特別操縦見習士官など速成将校のみならず既製服(吊るし服)が普及し、生地の質は低下し釦は鉄製金塗装でのっぺりしたものとなる。肩章孔・鏑袖・右脇裂(ダミー)の処理の省略(廃止ではない)、短袴裾開釦は3つに減らすといった簡略が多く見受けられる。下士官兵用は生産・整備を容易にするため、従来は「一号・二号・三号・四号・五号・六号」となっていたサイズ区分が「大号・中号・小号」の3サイズとなった。 一連の流れによる質の低下は続いていたが、昭和18年制式/三式として軍服自体は昭和13年制式/九八式と外見に差異は無く、あくまで襟章と袖章(後述)の改正のみである。 なお将校准士官においては、昭和18年制式の袖章と昭和13年制式の襟章の併用(ないしその逆も)といったイレギュラーは珍しくない。 この軍装が使用された戦争は次の通りである。 太平洋戦争中後期(1941年12月8日 – 1945年)
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