昭和18年後半の戦いとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 昭和18年後半の戦いの意味・解説 

昭和18年後半の戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/21 17:16 UTC 版)

海風 (白露型駆逐艦)」の記事における「昭和18年後半の戦い」の解説

海風」の修理8月15日完了した同日附で阿賀野型軽巡洋艦2番艦「能代」が第二水雷戦隊編入二水戦旗艦は「長良」から「能代」に変更となった8月17日主力部隊戦艦3隻《大和長門扶桑》、空母大鷹》、巡洋艦3隻《愛宕高雄能代》、駆逐艦部隊涼風海風秋雲夕雲若月天津風初風》)として呉を出撃し、23日トラック進出トラック到着後、24司令駆逐艦は「海風」に変更された。 同時期、アメリカ軍ベララベラ島上陸開始ニュージョージア島の戦い緊迫度合い増していた。8月25日、第24駆逐隊海風涼風)は第十四戦隊司令官伊藤賢三少将旗艦那珂)の指揮下、巡洋艦2隻(那珂高雄)を護衛してラバウルへの輸送作戦従事27日ラバウル到着して陸兵揚陸すると、29日トラック戻った9月2日第三艦隊司令長官小沢治三郎中将指揮下の機動部隊前衛編入される同日アメリカ潜水艦スナッパー駆逐艦「雷」海防艦六連護衛され輸送船5隻を襲撃六連輸送船1隻を撃沈した。第24駆逐隊海風涼風)は駆潜艇と共に現場海域出動したスナッパー補足できず、トラック泊地戻った9月16日トラック泊地環礁内で3隻(能代海風涼風)による戦闘訓練実施中、「涼風」の魚雷1本を喪失つづいて小沢機動部隊第三艦隊翔鶴瑞鶴金剛榛名利根筑摩阿賀野涼月初月若月浦風》、第二艦隊愛宕高雄摩耶鳥海妙高羽黒能代海風江風涼風玉波》)の一隻としてマーシャル諸島エニウェトク環礁ブラウン環礁)に進出するが特に戦闘はおきず、9月末にはトラック泊地戻った10月3日駆逐艦3隻(若月長波海風)で対潜掃蕩実施10月6日給油艦風早が米潜水艦スティールヘッドティノサ襲撃され16時30分に沈没した駆逐艦2隻(海風初風)は急遽第十四戦隊旗艦五十鈴)の指揮下に入った。3隻(五十鈴海風初風)は風早遭難現場おもむくが同艦はすでに沈没しており、「海風」は風早乗組員154名、「初風」は98名を救助した同時期、アルフレッド・E・モントゴメリー少将率いアメリカ軍14任務部隊エセックス級航空母艦3、インディペンデンス級航空母艦3、重巡4、軽巡4、駆逐艦24)がウェーク島空襲した。第14任務部隊ハワイ帰投したが、連合艦隊軍令部ともマーシャル諸島におけるアメリカ軍機動部隊との決戦想定し10月11日にはアメリカ軍機動部隊ハワイ出撃情報入手連合艦隊大和型戦艦2隻や翔鶴型航空母艦2隻を含むトラック泊地水上艦艇総動員しブラウン環礁経由してウェーク島西方むかった海風以下第二水雷戦隊能代大波巻波長波海風涼風島風)も小沢機動部隊同行した。だが日本軍信じていたアメリカ軍機動部隊出撃誤報であり、各艦隊10月26日トラック泊地へ戻る。一連の行動大量燃料消費したため艦隊燃料著しく逼迫し、のちに『連合艦隊の大散歩と言われた。 10月20日第十一水戦隊司令官木村進少将旗艦山城」)が指揮する丁三号輸送部隊扶桑型戦艦山城》、航空戦艦伊勢》、軽巡龍田》、第32駆逐隊早波、涼波、藤波》)が、陸軍増援部隊戦艦部隊弾薬輸送してトラック泊地到着する10月31日、第24駆逐隊朝潮型満潮型)駆逐艦満潮」が編入され、同隊は駆逐艦3隻(海風涼風満潮編制となる。同日第十一水戦隊司令官旗艦伊勢」)が率い戦艦2隻(伊勢山城)、空母2隻(隼鷹雲鷹)、巡洋艦2隻(利根龍田)、駆逐艦4隻(海風涼風谷風、曙)はトラック泊地出発11月5日午前5時、暗号解読により豊後水道近海日本艦隊待ち伏せていたアメリカ潜水艦ハリバットが丁三号輸送部隊襲撃した。5時35分、「隼鷹艦尾魚雷1本が命中し右舷機械室浸水と舵故障により直進不能となった午前10時頃より「利根」に曳航されて約5-6ノット被雷海域離脱し6日母港・呉へ帰投した。海風以下、他の艦に被害はなかった。11月6日、第24駆逐隊海風涼風)は佐世保到着入渠修理作業おこなった前日附で海風駆逐艦長は三舩中佐から、中尾小太郎少佐10月25日まで峯風型駆逐艦14番波風駆逐艦長)へ交代している。僚艦満潮」は11月下旬に呉(瀬戸内海)に回航された。 12月1日修理完了12月3日、第24駆逐隊海風涼風満潮)は桂島泊地集結した。だが満潮空母2隻(雲鷹瑞鳳護衛のため横須賀回航され、別行動となった12月中旬から下旬にかけて、駆逐艦3隻(海風涼風、潮)は輸送船4隻(日蘭丸、良洋丸、日美丸、但馬丸)の釜山からトラック泊地進出護衛12月26日夕刻トラック泊地南水道着翌朝到着28日附で3隻(海風涼風、潮)は内南洋部隊編入され海上機動第1旅団マーシャル諸島進出護衛することになった12月30日、2隻(海風、潮)は第一分団但馬丸、日美丸)を護衛してトラック泊地出発クェゼリン環礁へ向かう。1944年1月中旬までブラウン環礁ロイ=ナムル島クェゼリン環礁各地航海した。なおマーシャル諸島配備され各部隊は、1月下旬2月上旬クェゼリンの戦いおよびエニウェトクの戦いによって全滅した

※この「昭和18年後半の戦い」の解説は、「海風 (白露型駆逐艦)」の解説の一部です。
「昭和18年後半の戦い」を含む「海風 (白露型駆逐艦)」の記事については、「海風 (白露型駆逐艦)」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「昭和18年後半の戦い」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「昭和18年後半の戦い」の関連用語

昭和18年後半の戦いのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



昭和18年後半の戦いのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの海風 (白露型駆逐艦) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS