昭和18年後半の戦い
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「海風 (白露型駆逐艦)」の記事における「昭和18年後半の戦い」の解説
「海風」の修理は8月15日に完了した。同日附で阿賀野型軽巡洋艦2番艦「能代」が第二水雷戦隊に編入、二水戦旗艦は「長良」から「能代」に変更となった。8月17日、主力部隊(戦艦3隻《大和、長門、扶桑》、空母《大鷹》、巡洋艦3隻《愛宕、高雄、能代》、駆逐艦部隊《涼風、海風、秋雲、夕雲、若月、天津風、初風》)として呉を出撃し、23日トラックへ進出。トラック到着後、24駆司令駆逐艦は「海風」に変更された。 同時期、アメリカ軍はベララベラ島に上陸を開始、ニュージョージア島の戦いは緊迫の度合いを増していた。8月25日、第24駆逐隊(海風、涼風)は第十四戦隊司令官伊藤賢三少将(旗艦那珂)の指揮下、巡洋艦2隻(那珂、高雄)を護衛してラバウルへの輸送作戦に従事。27日にラバウルに到着して陸兵を揚陸すると、29日にトラックへ戻った。 9月2日、第三艦隊司令長官小沢治三郎中将指揮下の機動部隊前衛に編入される。同日、アメリカ潜水艦スナッパーが駆逐艦「雷」と海防艦六連に護衛された輸送船5隻を襲撃、六連と輸送船1隻を撃沈した。第24駆逐隊(海風、涼風)は駆潜艇と共に現場海域に出動したがスナッパーを補足できず、トラック泊地に戻った。9月16日、トラック泊地環礁内で3隻(能代、海風、涼風)による戦闘訓練実施中、「涼風」の魚雷1本を喪失。つづいて小沢機動部隊(第三艦隊《翔鶴、瑞鶴、金剛、榛名、利根、筑摩、阿賀野、涼月、初月、若月、浦風》、第二艦隊《愛宕、高雄、摩耶、鳥海、妙高、羽黒、能代、海風、江風、涼風、玉波》)の一隻としてマーシャル諸島のエニウェトク環礁(ブラウン環礁)に進出するが特に戦闘はおきず、9月末にはトラック泊地に戻った。 10月3日、駆逐艦3隻(若月、長波、海風)で対潜掃蕩を実施。10月6日、給油艦風早が米潜水艦スティールヘッドとティノサに襲撃され、16時30分に沈没した。駆逐艦2隻(海風、初風)は急遽第十四戦隊(旗艦五十鈴)の指揮下に入った。3隻(五十鈴、海風、初風)は風早遭難現場におもむくが同艦はすでに沈没しており、「海風」は風早乗組員154名、「初風」は98名を救助した。 同時期、アルフレッド・E・モントゴメリー少将率いるアメリカ軍第14任務部隊(エセックス級航空母艦3、インディペンデンス級航空母艦3、重巡4、軽巡4、駆逐艦24)がウェーク島を空襲した。第14任務部隊はハワイに帰投したが、連合艦隊・軍令部ともマーシャル諸島におけるアメリカ軍機動部隊との決戦を想定し、10月11日にはアメリカ軍機動部隊ハワイ出撃の情報を入手。連合艦隊は大和型戦艦2隻や翔鶴型航空母艦2隻を含むトラック泊地の水上艦艇を総動員し、ブラウン環礁を経由してウェーク島西方にむかった。海風以下第二水雷戦隊(能代、大波、巻波、長波、海風、涼風、島風)も小沢機動部隊に同行した。だが日本軍が信じていたアメリカ軍機動部隊出撃は誤報であり、各艦隊は10月26日にトラック泊地へ戻る。一連の行動で大量の燃料を消費したため艦隊の燃料は著しく逼迫し、のちに『連合艦隊の大散歩』と言われた。 10月20日、第十一水雷戦隊司令官木村進少将(旗艦「山城」)が指揮する丁三号輸送部隊(扶桑型戦艦《山城》、航空戦艦《伊勢》、軽巡《龍田》、第32駆逐隊《早波、涼波、藤波》)が、陸軍増援部隊と戦艦部隊の弾薬を輸送してトラック泊地へ到着する。 10月31日、第24駆逐隊に朝潮型(満潮型)駆逐艦「満潮」が編入され、同隊は駆逐艦3隻(海風、涼風、満潮)編制となる。同日、第十一水雷戦隊司令官(旗艦「伊勢」)が率いる戦艦2隻(伊勢、山城)、空母2隻(隼鷹、雲鷹)、巡洋艦2隻(利根、龍田)、駆逐艦4隻(海風、涼風、谷風、曙)はトラック泊地を出発。11月5日午前5時、暗号解読により豊後水道近海で日本艦隊を待ち伏せていたアメリカ潜水艦ハリバットが丁三号輸送部隊を襲撃した。5時35分、「隼鷹」艦尾に魚雷1本が命中し、右舷機械室の浸水と舵故障により直進不能となった。午前10時頃より「利根」に曳航されて約5-6ノットで被雷海域を離脱し、6日に母港・呉へ帰投した。海風以下、他の艦に被害はなかった。11月6日、第24駆逐隊(海風、涼風)は佐世保に到着、入渠修理作業をおこなった。前日附で海風駆逐艦長は三舩中佐から、中尾小太郎少佐(10月25日まで峯風型駆逐艦14番艦波風駆逐艦長)へ交代している。僚艦「満潮」は11月下旬に呉(瀬戸内海)に回航された。 12月1日、修理完了。12月3日、第24駆逐隊(海風、涼風、満潮)は桂島泊地に集結した。だが満潮は空母2隻(雲鷹、瑞鳳)護衛のため横須賀に回航され、別行動となった。12月中旬から下旬にかけて、駆逐艦3隻(海風、涼風、潮)は輸送船4隻(日蘭丸、良洋丸、日美丸、但馬丸)の釜山からトラック泊地進出を護衛。12月26日夕刻にトラック泊地南水道着、翌朝到着。28日附で3隻(海風、涼風、潮)は内南洋部隊に編入され、海上機動第1旅団のマーシャル諸島進出を護衛することになった。12月30日、2隻(海風、潮)は第一分団(但馬丸、日美丸)を護衛してトラック泊地を出発、クェゼリン環礁へ向かう。1944年1月中旬までブラウン環礁、ロイ=ナムル島、クェゼリン環礁各地を航海した。なおマーシャル諸島に配備された各部隊は、1月下旬〜2月上旬のクェゼリンの戦いおよびエニウェトクの戦いによって全滅した。
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