にっ‐しん【日進】
にっしん【日進】
日進
日進
日進
日進
日進
日進
日進
〒049-4333 北海道瀬棚郡今金町日進
〒071-0735 北海道空知郡中富良野町日進
〒099-1136 北海道常呂郡置戸町日進
日進
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/28 06:10 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動日進(にっしん)
- 地名
- 船名(日進は旧日本海軍の艦艇)
- 日進 (スループ) - 1869年竣工の木造汽船
- 日進 (装甲巡洋艦) - 1904年竣工の装甲巡洋艦
- 日進 (水上機母艦) - 1942年竣工の水上機母艦
- 人名
- 日進 (身延3世)-鎌倉時代の日蓮宗僧、山梨県にある総本山、身延山久遠寺3世。三位公、大進阿闍梨とも称し中老僧の1人でもある。文永8年(1271年)生[1]。
- 修禅院日進-江戸初期の日蓮宗僧、目黒区の碑文谷法華寺11世、不受不施派だったが信州に流され、法華寺は天台宗円融寺となった。天正19年(1591年)生。寛文3年(1663年)没[1]。
- 乾性院日進-江戸初期の日蓮宗僧、京都市上京区に妙喜山法華寺を建立、京都布教の基盤を築いた日像を開山とし日進を開基とす。文禄4年(1595年)生。明暦3年(1657年)没[1]。
- 本妙院日進-江戸初期の日蓮宗僧、京都市上京区の具足山妙覚寺28世[2]。千葉県の中山法華経寺35世日允の弟子であった。 元禄2年(1689年)没[1]。
- 智勇院日進-江戸後期の日蓮宗僧、熊本市西区の肥後本妙寺22世。21世日導の教学を批判し退山。宝暦11年(1761年)生。文政6年(1823年)没[1]。京都市左京区頂妙寺34世は加歴[3]。
- 智境院日進-明治時代の日蓮宗僧、江戸川区の金嶋山妙覚寺29世[4]。在家仏教教団・国柱会を組織した田中智学が明治3年(1870年)7歳の時に日進を師として得度した[5]。
- 企業名
脚注
出典
- ^ a b c d e 日蓮宗事典 (1981), pp. 663-664
- ^ 日蓮宗事典 (1981), p. 1277
- ^ 日蓮宗事典 (1981), p. 1272
- ^ 全国寺院名鑑 (1969), p. 東京都-79
- ^ 日蓮宗事典 (1981), p. 547
参考文献
- 『日蓮宗事典』日蓮宗事典刊行委員会(編)、日蓮宗宗務院、1981年10月。全国書誌番号:82021590。
- 『全国寺院名鑑』全日本仏教会寺院名鑑刊行会(編)、全日本仏教会寺院名鑑刊行会、1969年3月。全国書誌番号: 74006510。
関連項目
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日進(にっしん)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/20 06:51 UTC 版)
元1等巡洋艦。1921年(大正10年)9月1日、1等海防艦に変更(昭和6年に等級廃止)。主に横須賀海兵団練習船として使用。老朽化のため漏水着底。1935年(昭和10年)4月1日除籍後、大和型戦艦搭載予定の46㎝砲の標的として使用中、浸水して転覆。後に解体。
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