第十六号掃海艇とは? わかりやすく解説

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第十六号掃海艇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/09 09:04 UTC 版)

艦歴
計画 昭和6年度計画[1]
起工 1933年6月20日[1]
進水 1934年3月30日[1]
竣工 1934年9月29日[1]
その後 1943年9月11日触雷により沈没[1]
除籍 1943年11月1日[1]
性能諸元(竣工時→性能改善工事後)
排水量 基準:525トン → 691トン
公試:590トン → 800トン
全長 74.00m
全幅 8.20m
吃水 2.07m → 3.13m
機関 ロ号艦本式缶(混焼)2基
3気筒3段膨張レシプロ2基
2軸、3,200馬力
速力 20.0ノット → 19ノット
航続距離 12ノットで2,600海里
燃料 重油:25トン
石炭:53トン
乗員 98名
兵装 45口径三年式12cm砲 2門
40口径三年式8cm高角砲 単装1門
九一式爆雷投射機2基
爆雷36個(もしくは16個[2]
掃海具、または五号機雷40個、または八九式機雷26個

第十六号掃海艇(だいじゅうろくごうそうかいてい)は、日本海軍掃海艇第十三号型掃海艇の4番艦。

艦歴

1933年昭和8年)6月20日、三井物産造船部玉工場で起工[1]1934年(昭和9年)3月30日進水。同年9月29日に竣工。第十六号掃海艇と命名され、掃海艇に類別。

1937年(昭和12年)から1939年(昭和14年)まで日中戦争において華中及び華北の作戦に参加[1]太平洋戦争では、南方侵攻作戦、船団護衛に従事[1]1943年(昭和18年)9月11日、セレベス島マカッサル港外で触雷して沈没[1]。同年11月1日に除籍。

歴代艇長

※艦長等は『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。

艤装員長
  • 大田春男 大尉:1934年4月20日[3] -
艇長
  • 大田春男 大尉:1934年9月29日[4] - 1935年7月18日[5]
  • 池田暎 大尉:1935年7月18日 - 1936年9月19日[6]
  • 岩橋透 少佐:1936年9月19日[6] - 1938年3月26日[7]
  • 志村正 大尉:1938年3月26日[7] - 1938年12月10日[8]
  • 笹田兼雄 少佐:1938年12月10日[8] - 1939年11月15日[9]
  • 藤森康男 少佐:1939年11月15日[9] - 1940年4月1日[10]
  • 村上忠臣 大尉:1940年4月1日[10] - 1940年11月1日[11]
  • 古山修郎 予備大尉:1940年11月1日[11] - 1941年9月10日[12]
  • 渡辺芳郎 大尉:1941年9月10日[13] -

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j 『写真日本海軍全艦艇史』資料篇「主要艦艇艦歴表」28頁。
  2. ^ 『昭和造船史』、『日本補助艦艇物語』によると第13号、第14号は爆雷18個、第15号、第16号が爆雷36個。一方『写真 日本の軍艦 第13巻』p226-227の表によると4隻とも爆雷36個。
  3. ^ 『官報』第2189号、昭和9年4月21日。
  4. ^ 『官報』第2327号、昭和9年10月2日。
  5. ^ 『官報』第2563号、昭和10年7月19日。
  6. ^ a b 『官報』第2919号、昭和11年9月22日。
  7. ^ a b 海軍辞令公報(部内限)号外 第156号 昭和13年3月26日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072073600 
  8. ^ a b 海軍辞令公報(部内限)号外 第271号 昭和13年12月10日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072074800 
  9. ^ a b 海軍辞令公報(部内限)第402号 昭和14年11月15日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072076800 
  10. ^ a b 海軍辞令公報(部内限)第459号 昭和15年4月1日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072077900 
  11. ^ a b 海軍辞令公報(部内限)第550号 昭和15年11月1日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072079300 
  12. ^ 海軍辞令公報(部内限)第709号 昭和16年9月11日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072082000 
  13. ^ 海軍辞令公報(部内限)第708号 昭和16年9月10日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072082000 

参考文献

  • 雑誌「丸」編集部『写真 日本の軍艦 第13巻 小艦艇I』光人社、1990年。ISBN 4-7698-0463-6
  • 日本造船学会『昭和造船史 第1巻』第3刷、原書房、1981年。ISBN 4-562-00302-2
  • 福井静夫『福井静夫著作集第10巻 日本補助艦艇物語』光人社、1993年。ISBN 4-7698-0658-2
  • 『写真日本海軍全艦艇史 Fukui Shizuo Collection』資料編、KKベストセラーズ、1994年。
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。

第十六号掃海艇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/11/14 08:21 UTC 版)

第十三号型掃海艇」の記事における「第十六号掃海艇」の解説

詳細は「第十六号掃海艇」を参照 1934年8月21日竣工三井玉)。1943年9月11日航空機攻撃を受け沈没マカッサル沖)。

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「第十六号掃海艇」を含む「第十三号型掃海艇」の記事については、「第十三号型掃海艇」の概要を参照ください。

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