第十四号掃海艇とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 第十四号掃海艇の意味・解説 

第十四号掃海艇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/09 04:22 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
艦歴
計画 昭和6年度計画[1]
起工 1931年12月22日[1]
進水 1933年5月20日[1]
竣工 1933年9月30日[1]
その後 1942年1月12日陸上砲台の砲撃により沈没[1]
除籍 1945年11月30日[1]
性能諸元(竣工時→性能改善工事後)
排水量 基準:525トン → 691トン
公試:590トン → 800トン
全長 74.00m
全幅 8.20m
吃水 2.07m → 3.13m
機関 ロ号艦本式缶(混焼)2基
3気筒3段膨張レシプロ2基
2軸、3,200馬力
速力 20.0ノット → 19ノット
航続距離 12ノットで2,600海里
燃料 重油:25トン
石炭:53トン
乗員 98名
兵装 45口径三年式12cm砲 2門
40口径三年式8cm高角砲 単装1門
九一式爆雷投射機2基
爆雷36個(もしくは16個[2]
掃海具、または五号機雷40個、または八九式機雷26個

第十四号掃海艇(だいじゅうよんごうそうかいてい)は、日本海軍掃海艇第十三号型掃海艇の2番艦。

艦歴

1931年昭和6年)12月22日、大阪鉄工所桜島工場で起工[1]1933年(昭和8年)5月20日進水。同年9月30日に竣工。第十四号掃海艇と命名され、掃海艇に類別。

1937年(昭和12年)から1939年(昭和14年)まで日中戦争において華中及び華北の作戦に参加[1]太平洋戦争では、南方侵攻作戦に参加[1]1942年(昭和17年)1月12日、ボルネオ攻略作戦において同島タラカン泊地で掃海中、オランダ軍陸上砲台からの砲撃を受け沈没[1]。その後、第4予備艦となる[1]1945年(昭和20年)11月30日に除籍。

歴代艇長

※艦長等は『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。

艤装員長
  • 谷口秀志 大尉:1933年5月25日[3] -
艇長
  • 谷口秀志 大尉:1933年9月30日[4] - 1934年11月1日[5]
  • 有馬時吉 大尉:1934年11月1日[5] - 1935年10月15日[6]
  • 中俣勇 大尉:1935年10月15日[6] - 1938年2月21日[7]
  • 浜中脩一 少佐:1938年2月21日[7] - 1938年11月15日[8]
  • 入戸野篶生 大尉:1938年11月15日[8] - 1940年10月15日[9]
  • 寺内正道 大尉:1940年10月15日[9] - 1941年2月10日[10]
  • 吉本義国 予備大尉:1941年2月10日[10] -

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j k 『写真日本海軍全艦艇史』資料篇「主要艦艇艦歴表」28頁。
  2. ^ 『昭和造船史』、『日本補助艦艇物語』によると第13号、第14号は爆雷18個、第15号、第16号が爆雷36個。一方『写真 日本の軍艦 第13巻』p226-227の表によると4隻とも爆雷36個。
  3. ^ 『官報』第1918号、昭和8年5月26日。
  4. ^ 『官報』第2027号、昭和8年10月2日。
  5. ^ a b 『官報』第2353号、昭和9年11月2日。
  6. ^ a b 『官報』第2638号、昭和10年10月16日。
  7. ^ a b 海軍辞令公報 号外 第140号 昭和13年2月21日付」 アジア歴史資料センター Ref.C13072073400 
  8. ^ a b 海軍辞令公報(部内限)号外 第261号 昭和13年11月15日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072074600 
  9. ^ a b 海軍辞令公報(部内限)第543号 昭和15年10月15日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072079000 
  10. ^ a b 海軍辞令公報(部内限)第591号 昭和16年2月12日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072080400 

参考文献

  • 雑誌「丸」編集部『写真 日本の軍艦 第13巻 小艦艇I』光人社、1990年。ISBN 4-7698-0463-6
  • 日本造船学会『昭和造船史 第1巻』第3刷、原書房、1981年。ISBN 4-562-00302-2
  • 福井静夫『福井静夫著作集第10巻 日本補助艦艇物語』光人社、1993年。ISBN 4-7698-0658-2
  • 『写真日本海軍全艦艇史 Fukui Shizuo Collection』資料編、KKベストセラーズ、1994年。
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。

第十四号掃海艇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/11/14 08:21 UTC 版)

第十三号型掃海艇」の記事における「第十四号掃海艇」の解説

詳細は「第十四号掃海艇」を参照 1933年9月30日竣工大阪桜島)。1942年1月12日陸上砲台からの攻撃沈没タラカン)。

※この「第十四号掃海艇」の解説は、「第十三号型掃海艇」の解説の一部です。
「第十四号掃海艇」を含む「第十三号型掃海艇」の記事については、「第十三号型掃海艇」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「第十四号掃海艇」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「第十四号掃海艇」の関連用語

第十四号掃海艇のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



第十四号掃海艇のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの第十四号掃海艇 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの第十三号型掃海艇 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS