第五号掃海艇とは? わかりやすく解説

第五号掃海艇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/09 09:00 UTC 版)

艦歴
計画 大正12年度計画[1]
起工 1928年3月25日[1]
進水 1928年10月30日[1]
竣工 1929年2月25日[1]
その後 1944年11月4日雷撃により沈没[1]
除籍 1945年3月10日[1]
性能諸元
排水量 基準:620トン
公試:717トン
全長 77.00m
全幅 8.25m
吃水 2.25m
機関 ロ号艦本式缶(石炭専焼)2基[2]
3気筒3段膨張レシプロ2基
2軸、4,000馬力
速力 21.0ノット[3]
航続距離 14ノットで2,000海里
燃料 石炭:150トン
乗員 91名
兵装 45口径三年式12cm砲 2門
40口径三年式8cm高角砲 単装1門
九一式爆雷投射機2基
爆雷投下台
爆雷18個
掃海具、または機雷50個

第五号掃海艇(だいごごうそうかいてい)は、日本海軍掃海艇第五号型掃海艇の1番艦。海軍省が定めた艦艇類別等級別表では第一号型に含まれる[4]

艦歴

1928年昭和3年)3月25日、三井物産造船部玉工場で起工[1]。同年10月30日進水1929年(昭和4年)2月25日に竣工。第五号掃海艇と命名され、掃海艇に類別。

1937年昭和12年)から1939年(昭和14年)まで日中戦争において華中の作戦に参加[1]太平洋戦争では、南方侵攻作戦、船団護衛に従事[1]1944年(昭和19年)11月4日、マラッカ海峡でイギリス潜水艦「テラピン英語版」の雷撃を受け沈没[1]1945年(昭和20年)3月10日に除籍。

歴代艇長

※艦長等は『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。

艤装員長
  • 有田貢 大尉:1928年11月1日[5] -
艇長
  • 有田貢 大尉:1929年2月25日[6] - 1929年11月1日[7]
  • 北村昌幸 大尉:1929年11月1日 - 1931年10月12日
  • 西川一男 大尉:1931年10月12日[8] - 1932年12月1日[9]
  • 磯久研磨 大尉:1932年12月1日 - 1933年5月20日
  • 今里義光 大尉:1933年5月20日[10] - 1933年11月1日[11]
  • 白浜政七 大尉:1933年11月1日 - 1934年11月1日
  • 阿部徳馬 大尉:1934年11月1日[12] - 1935年11月15日[13]
  • 広瀬弘 少佐:1935年11月15日[13] - 1936年12月1日[14]
  • 岡戸靖彦 少佐:1936年12月1日[14] - 1938年2月26日[15]
  • 梶原正見 少佐:1938年2月26日[15] - 1938年7月11日
  • (兼)富田捨造 少佐:1938年7月11日 - 1938年7月28日
  • (兼)岡戸靖彦 少佐:1938年7月28日[16] - 1938年8月10日[17]
  • 氏家忠三 大尉:1938年8月10日[17] - 1938年11月5日[18]
  • 樋口信夫 少佐:1938年11月5日[18] -
  • 加茂喜代之 少佐:不詳 - 1940年1月25日[19]
  • 柴山一雄 少佐:1940年1月25日[19] - 1940年10月15日[20]
  • 森新一 大尉:1940年10月15日[21] - 1941年9月10日[22]
  • 小梨三郎 予備大尉:1941年9月10日[22] -

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j 『写真日本海軍全艦艇史』資料篇「主要艦艇艦歴表」28頁。
  2. ^ 『昭和造船史』、『日本補助艦艇物語』による。『写真 日本の軍艦 第13巻』p226-227の表によると3基。
  3. ^ 『昭和造船史』、『日本補助艦艇物語』による。『写真 日本の軍艦 第13巻』p226-227の表によると20.0ノット。
  4. ^ 大正15年11月29日付 海軍内令 第238号。
  5. ^ 『官報』第558号、昭和3年11月2日。
  6. ^ 『官報』第647号、昭和4年2月27日。
  7. ^ 『官報』第854号、昭和4年11月2日。
  8. ^ 『官報』第1439号、昭和6年10月14日。
  9. ^ 『官報』第1778号、昭和7年12月2日。
  10. ^ 『官報』第1914号、昭和8年5月22日。
  11. ^ 『官報』第2053号、昭和8年11月2日。
  12. ^ 『官報』第2353号、昭和9年11月2日。
  13. ^ a b 『官報』第2663号、昭和10年11月16日。
  14. ^ a b 『官報』第2976号、昭和11年12月2日。
  15. ^ a b 海軍辞令公報 号外 第142号 昭和13年2月28日付」 アジア歴史資料センター Ref.C13072073400 
  16. ^ 海軍辞令公報(部内限)号外 第217号 昭和13年7月28日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072074100 
  17. ^ a b 海軍辞令公報(部内限)号外 第223号 昭和13年8月10日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072074200 
  18. ^ a b 海軍辞令公報(部内限)号外 第257号 昭和13年11月5日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072074500 
  19. ^ a b 海軍辞令公報(部内限)第433号 昭和15年1月25日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072077600 
  20. ^ 海軍辞令公報(部内限)第543号 昭和15年10月15日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072079000 
  21. ^ 海軍辞令公報(部内限)第543号 昭和15年10月15日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072079100 
  22. ^ a b 海軍辞令公報(部内限)第708号 昭和16年9月10日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072082000 

参考文献

  • 雑誌「丸」編集部『写真 日本の軍艦 第13巻 小艦艇I』光人社、1990年。ISBN 4-7698-0463-6
  • 日本造船学会『昭和造船史 第1巻』第3刷、原書房、1981年。ISBN 4-562-00302-2
  • 福井静夫『福井静夫著作集第10巻 日本補助艦艇物語』光人社、1993年。ISBN 4-7698-0658-2
  • 『写真日本海軍全艦艇史 Fukui Shizuo Collection』資料編、KKベストセラーズ、1994年。
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。

第五号掃海艇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/01/17 09:48 UTC 版)

第五号型掃海艇」の記事における「第五号掃海艇」の解説

1925年2月25日竣工三井玉)。1944年11月4日マラッカ海峡で英潜の雷撃を受け沈没

※この「第五号掃海艇」の解説は、「第五号型掃海艇」の解説の一部です。
「第五号掃海艇」を含む「第五号型掃海艇」の記事については、「第五号型掃海艇」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「第五号掃海艇」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「第五号掃海艇」の関連用語

第五号掃海艇のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



第五号掃海艇のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの第五号掃海艇 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの第五号型掃海艇 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS