第五四一海軍航空隊
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「第七六三海軍航空隊」の記事における「第五四一海軍航空隊」の解説
1944年(昭和19年)3月15日、松山飛行場を原隊として松山飛行場で開かれた艦上爆撃機隊。鈴木由次郎司令以下、定数48機の彗星隊とされ、「響部隊」の符牒を持つ。彗星の調達は進捗せず、九九式艦上爆撃機で練成し、6月東号作戦には九九艦爆7機・彗星1機を木更津に派遣している。一本化後は攻撃第3飛行隊に再編され、8月上旬に国分飛行場に進出したが、なぜか鹿屋飛行場に展開する七六二空陸攻隊との共同訓練には着手しないまま七六三空に統合された。
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