第五回使節とは? わかりやすく解説

第五回使節

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 16:00 UTC 版)

元寇」の記事における「第五回使節」の解説

1271年文永8年至元8年9月三別抄からの使者到来した直後に、元使である女真人趙良弼らがモンゴル帝国への服属命じ国書携えて5度目使節として100余り引き連れて到来クビライは、趙良弼らが帰還するまでとして、日本に近い高麗金州にクルムチ(忽赤)、王国昌、洪茶丘軍勢集結させるなど、今回使節派遣軍事力を伴うものであった博多湾今津上陸した趙良弼は、日本滞在していた南宋人と三別抄から妨害を受けながらも大宰府西守護所に到着した日本側が大宰府以東への訪問拒否したため、趙良弼やむなく国書写し手渡し11月末の回答期限過ぎた場合武力行使辞さないとした。これに対して朝廷評定行い前回文書博士菅原長成が作成した返書太政官牒案』草案少々手直しの上返書を渡すということで一旦は決定をみたが、その後使節団に関する評定続いた一方大宰府では、ひとまず先に返書代わりとして、日本使節クビライのもとへと派遣されることになった趙良弼もまた日本使とともに帰還途に就いた同年11月クビライ国号新たに大元」と定める。

※この「第五回使節」の解説は、「元寇」の解説の一部です。
「第五回使節」を含む「元寇」の記事については、「元寇」の概要を参照ください。

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