第五基地航空部隊とは? わかりやすく解説

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第五基地航空部隊(第一航空艦隊)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/18 13:09 UTC 版)

捷号作戦」の記事における「第五基地航空部隊(第一航空艦隊)」の解説

フィリピンでの基地航空部隊中核となる第一航空艦隊だが、司令部テニアンにあり敵の侵攻最前線であった司令部収容ダバオへの転進決められ航空機による輸送伊号第四十五潜水艦伊号第二十六潜水艦などによる収容計画なども実施されたがどれも成功せず7月31日司令長官角田覚一中将下司令部全員テニアン玉砕してしまう。 一から艦隊再編となった第一航空艦隊は、新たに寺岡謹平中将司令長官となり8月12日ダバオ進出航空隊再編尽力した貴下の各航空戦隊のうち、トラック諸島司令部を置く第二十二航空戦隊は引き続き同地拠点とし、新たにカロリン航空隊配属した。同戦隊中部太平洋侵攻するアメリカ軍艦隊奇襲漸減する基地として期待された(フィリピン方面への転進が困難となったという実情もある)が、アメリカ軍空襲激化により戦力疲弊し捷号作戦での活用望めなかった。 一時的に南西方面部隊指揮下に入りニューギニア北西部作戦展開していた第二十三航空戦隊は拠点ケンダリーとし、ビアク・アンボン・ラングールなどに部隊を展開、ダバオ所在する第二十六航空戦隊は司令部直轄航空部隊再編当たったペリリュー拠点を置く第六十一航空戦隊司令上野敬三少将テニアン孤立する角田長官より7月12日付で指揮代行命じられたが、ペリリュー島自体最前線となりアメリカ軍機の攻撃受けている状態であり、第二十六航空戦隊司令有馬正文少将戦力増派要請したが、有馬司令はそれを断っている。 なお第六十一航空戦隊は8月22日拠点ダバオに移すよう兵力部署改定が行われ部隊転進順次実施され9月15日から始まったペリリュー島の戦い時点では西カロリン航空隊大谷龍蔵大佐指揮)の702名の他、第45警備隊ペリリュー派遣隊通信隊、設営隊など3646名の地上要員残されていた。彼らは陸軍側の指揮官中川州男大佐指揮下に入り防衛戦参加パラオ本島から西カロリン航空隊副長遠藤谷司中佐以下60名が逆上陸に成功して守備隊増援となるなどの救援措置取られたが、結局同島は2か月奮闘の末に壊滅し要員の殆どは戦死した司令部捷号作戦準備際しアメリカ軍では既に採用していた「反跳爆撃戦法」の採用決定初期よりこの戦法採用提案していた高橋定少佐横須賀空より招致し訓練重ねた8月19日連合艦隊電令作第278号が発令され、それを受けた寺岡司令長官第二十六航空戦隊司令部をニコルズ第一基地への転進、翌20日には第六十一航空戦隊のダバオへの転進指示、これにより南フィリピン整備目途立った考えた寺岡司令長官は、予定通り司令部マニラ移転決定し9月2日予定する。しかし司令部設備施設工事の遅れで移転9月10日変更するが、9日アメリカ軍機動部隊が南フィリピン来襲、更に10日に「ダバオ誤報事件と言われる一大不祥事発生してしまう。 9月9日それまで西カロリン猛攻加えていたアメリカ軍機動部隊一転してフィリピン大空襲仕掛ける。その数は延べ数で約400機に及んだ第一航空艦隊8月下旬実施され航空戦隊の南フィリピンから中部フィリピンへの移動などで航空機損害軽微地上にて5機が大破)だったが地上施設に相当の損害生じた。またこの空襲は全くの奇襲となり、部隊早期警戒網が十分ではないことが実証された。 空襲受けたダバオでは、所在第三十二特別根拠地隊より、貴下各隊に「近くの上陸があるかもしれないから警戒厳重にせよ」と注意喚起なされた。翌10日4時ごろ、ダバオ南方位置する小湾サランガニ湾にあるサランガニ見張り所より「湾口に敵上陸用舟艇見える」との一報根拠地隊司令部に届く。司令第一航空艦隊司令部通報し夜明け航空偵察実施してもらうよう依頼したが、サランガニ警備隊は8時ごろに「湾口上陸用舟艇多数みゆ」「陸軍協力水際でこれを殲滅戦とす」とあわただしく打電、一航艦司令部不審思いつつセブ基地配備偵察機による偵察指示するが、この指令通達が遅れ偵察機発進16時05となった。 9時30分にはダバオ見張り所も「敵水陸両用戦車ダバオ第二基地向かっている」と通報根拠地隊司令不審思い確認命じたが、直後見張り所の指揮官兵曹長)自らが司令部に赴き「自ら確認しており来襲間違いない」と報告したので、根拠地隊は敵のダバオ上陸信じ陸戦準備貴下各隊伝えられ暗号書の焼却開始された。しかし同根拠地隊は陣地構築防衛部署の割り振りもできていなかった為大混乱となり、司令部ダバオから後方のラパンダイへの後退始まったこの際根拠地隊司令はこれら一連の情報何故か上級司令部報告する手続きをとっておらず、艦隊司令部状況確認を取るのに苦労する要因となる。 一航艦司令部ではサランガニとダバオ情報不審抱いていた。しかし正午過ぎに根拠地隊司令より司令部撤退連絡を受け、水上警備隊からも准士官伝令で「敵戦車上陸開始」との知らせ聞いたことで寺岡長官は敵の上陸を信じ一転して機密文書第一次処分航空隊陸戦用意発令、また同時に攻撃戦闘部署発動し貴下部隊報じた。また参謀根拠地隊司令部派遣し状況聴収させ、1350分に「敵上陸用舟艇サマール島北西集結しつつあり」と打電させた。 この頃根拠地隊司令部はさらに後退してミンタルに至り陸軍の第百師団に合流した。その報告受けた寺岡長官陸路バレンシアへの移動決意し15時ダバオ発する移動途中ダバオ及びダバオ第二飛行場付近に敵らしいものが見えないことから、再度上陸の報に疑念を持つ。そこで、一航艦隊猪口力平主席参謀小田原俊彦参謀長松浦参謀ダバオ第1飛行場残った零戦湾内偵察するように指示、また猪口指示とは別に第二〇一海軍航空隊副長玉井浅一中佐も、根拠地隊司令部から色々と情報伝えられてきたのにも拘わらず1発の砲声すら聞こえなかったので、残った零戦でサランガニ湾を偵察飛行したが、敵の姿は全く見えなかった。猪口指示でサランガニ湾を偵察した小田原松浦敵影発見することができず、ダバオ第二飛行場猪口合流してその旨報告した玉井からの報告受けた猪口ら一航艦司令部16時37分に「飛行偵察結果ダバオ湾内には敵の艦船認めず海岸地帯にも異常なし」との取り消し電報全部隊に打電した。のちに軍令部調査隊の一員として、ダバオ現地でこの誤報事件調査した奥宮正武中佐は、一航艦、根拠地隊陸軍師団長の3人もの中将がおり、大勢参謀ついているのに、わが海軍始まって以来の空騒動起こしたことを不可解感じたという。 連合艦隊ダバオ上陸の報を受けて15時32分「捷一号作戦警戒」を発令し南西方面部隊ダバオ方面に敵来襲の際の邀撃作戦意味するD作戦」を発動した。一航艦司令部誤報受けてバレンシア撤退する前に第二十六航空戦隊司令官有馬正文少将に一航艦の航空隊指揮委ねるという発令をしており、これを受けて航空隊セブ基地への進出命じ自身18時30分セブ基地降り立った集結したのは零戦89機、彗星艦爆9機、九九艦爆3機であった南西方面部隊現地情報得られないので一航艦司令部第三十二特別根拠地隊司令部にあてて幾度となく上陸有無連絡打診したが、連合艦隊南西方面部隊ダバオ上陸事実はないという連絡届いたのは一航艦が発した1946分発の返電であり、連合艦隊司令部は翌11日早朝捷一号作戦警戒取り消した陸軍側は現地の第百師団が早くから敵上陸の報に疑念持っていたので、これら一連の上陸情報上級司令部報告せず、夕刻虚報判明しると経過報告のみ行ったこのため上級司令部や関係他部隊混乱は起こらなかったが、師団内では確認時間かかったこともあり師団通信隊で固定無線機破壊し退避したりするなど、市内部隊には混乱発生していた。 11日、一航艦は敵来襲兆しもないことから予定されマニラへの司令部移転実施する。しかし翌12日アメリカ軍機動部隊による再度大空襲実施されるセブ基地では9時20分から1130分にかけて戦爆連合130機が襲来し基地にあった航空機のうち25機が完全破壊され49機が損傷するという大損害を受けた陸軍機も65機が損害受けている。空襲は翌13日14日にも実施され、これによって第一航空艦隊誤報事件前には実働250機にまで回復していたもの12日には99機にまで低下してしまった。 9月23日寺岡第一航空艦隊司令長官艦隊実働航空戦力零戦25機・陸攻14機・天山20機・艦爆2機・月光1機・陸偵1機と報告する。この戦力計画数の4分の1過ぎず長官をして「9月は苦月」と評せしめた。同艦隊これ以上消耗回避し保存蓄積する以外に手立てはなく、損耗極力控えるよう麾下部隊指示した南西方面部隊はこれを受けて南西諸島に展開予定第六基地航空部隊第二航空艦隊基幹)のフィリピン進出要請する。しかし連合艦隊進出準備こそ指示したものの即時の展開は認めなかった。 その頃現地陸軍統括する南方総軍では、アメリカ軍機動部隊跳梁跋扈する現状再認識し従来陸軍の「航空隊は敵攻略部隊攻撃優先する」という方針よりも、海軍協力してアメリカ軍機動部隊殲滅を図る方が良いのではと考えるようになり、大本営その旨意見具申するが承認されるところまでには至らなかった。しかし9月24日中部フィリピンへの空襲が起こると南方総軍第四航空軍に対して機動部隊攻撃強化下令するとともに機動部隊への攻撃必要性再度意見具申した。大本営当初従来通り陸軍航空隊は敵上陸部隊攻撃主務として空母機動部隊への攻撃控えるよう指示していたが、その後参謀派遣して現地視察行った結果要望無理からぬことと判断しこれを容認する。 これにより9月19日第一航空艦隊陸軍第四航空軍現地協定対機部隊戦闘協定」を結び、陸軍航空兵力も敵機部隊攻撃使用することが可能となり、「捷号作戦に関する陸海軍中央協定」で取り決められ攻撃目標分担形骸化する。 戦闘協定締結後第一航空艦隊消耗した戦力回復努め10月1日時点での展開配備航空戦力以下の通りだった 甲戦闘機(零戦各型):保有193機、内稼働数108丙戦闘機(月光ほか):保有22機、内稼働数10艦上爆撃機九九式艦爆彗星):保有16機、内稼働数8機 艦上攻撃機(九七式艦攻天山):保有33機、内稼働数30陸上攻撃機一式陸攻各型):保有27機、内稼働数21機 艦偵(彩雲ほか):保有数3機、内稼働数0機

※この「第五基地航空部隊(第一航空艦隊)」の解説は、「捷号作戦」の解説の一部です。
「第五基地航空部隊(第一航空艦隊)」を含む「捷号作戦」の記事については、「捷号作戦」の概要を参照ください。

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