D作戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/05 09:02 UTC 版)
「日本軍によるアンダマン・ニコバル諸島の占領」の記事における「D作戦」の解説
馬来部隊がT作戦(北部スマトラ作戦)に続いて実施したのが、D作戦(アンダマン攻略作戦)とU作戦(ビルマ輸送作戦)であった。 3月20日午前8時以降、アンダマン攻略部隊(輸送船〈宏川丸、衣笠丸、國川丸〉、海軍第12特別根拠地隊分遣隊(2月15日に編成された)、第9特根拠地隊の一部兵力、陸軍歩兵第56連隊第2大隊、大発動艇4隻、特設監視艇2隻)は、馬来部隊第一護衛隊(指揮官橋本信太郎第三水雷戦隊司令官、旗艦「川内」)指揮下の各部隊・各艦(巡洋艦〈川内、由良〉、第19駆逐隊第1小隊〈浦波、磯波〉、第20駆逐隊〈夕霧、天霧、朝霧、白雲〉、駆潜艇)に護衛され、ペナンから出撃した。進撃中、第1掃海隊が合流した。攻略部隊を小沢長官直率の馬来部隊主隊(旗艦〈鳥海〉、第四航空戦隊〈龍驤〉、第七戦隊〈熊野、鈴谷、三隈、最上〉、第40航空隊、相良丸、山陽丸)が支援した。 3月23日0630、アンダマン攻略部隊はポートブレア付近に上陸した。アンダマン諸島の英軍の主力部隊は日本軍の作戦より前に撤退していたため、日本軍はほとんど抵抗なく、ポートブレア港周辺を占領した。英国人23人、インド兵300名を捕虜とした。英軍機小数機が飛来したが、攻略部隊に被害はなかった。港湾の制圧とともに、東港航空隊の九七式飛行艇7機が、ただちにポートブレアへ進出する。またイギリス軍が敷設した機雷の処理がおこなわれ、アンダマン攻略は30日までに終了した。 4月3日、アンダマン諸島の警備は日本海軍の担当となる。第12特別根拠地隊がアンダマン諸島に駐留し、海軍基地航空隊の拠点として機能した。4月15日、陸軍(林大隊)はポートブレアを出発し、17日にラングーンに到着した。 また同年6月13-14日、日本軍はニコバル諸島を無血占領した。
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