第20駆逐隊
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1940年(昭和15年)4月下旬より、浦賀船渠で修理を実施する。5月1日、日本海軍は第一艦隊麾下に第三水雷戦隊を新編した。編制当初の三水戦は、川内型軽巡洋艦川内、第12駆逐隊、第20駆逐隊である。8月1日、狭霧は第三水雷戦隊所属の第20駆逐隊に編入され、同隊は吹雪型4隻(朝霧、夕霧、天霧、狭霧)となった。同年9月、第三水雷戦隊(旗艦川内)は北部仏印進駐にともなう陸軍輸送船団護衛任務に従事した。 11月15日、狭霧と陽炎型駆逐艦12番艦磯風の駆逐艦長を入れ替えることになり、白浜政七中佐(狭霧艦長)は磯風艦長へ、杉岡幸七中佐(磯風初代艦長)は狭霧艦長に、それぞれ交代する。同日、第11駆逐隊と第19駆逐隊が第三水雷戦隊に編入され、所属駆逐隊は4コ(11駆、12駆、19駆、20駆)となった。
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