1942年 ソロモン海の戦いとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 1942年 ソロモン海の戦いの意味・解説 

1942年 ソロモン海の戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/04 21:03 UTC 版)

天霧 (駆逐艦)」の記事における「1942年 ソロモン海の戦い」の解説

8月7日米軍ガダルカナル島フロリダ諸島などへ上陸し南太平洋本格的な反攻作戦着手したB作戦中止となり、第三水雷戦隊外南洋部隊三川軍一第八艦隊司令長官)に編入され第18師団川口清健陸軍少将)の船団護衛命じられた。第20駆逐隊23日までにトラック泊地集結した8月24日川内第20駆逐隊輸送船佐渡丸浅香山丸を護衛してトラック泊地出撃ガダルカナル島向かった。しかし同日第二次ソロモン海戦制空権奪還できず、第二水雷戦隊護衛する輸送船団25日米軍空襲受けて揚陸断念したため、第十一航空艦隊から26日駆逐艦での揚陸変更するよう命じられた。同日夜、輸送船川口支隊600名は第20駆逐隊移乗川内輸送船護衛してラバウル向かい天霧など駆逐艦4隻は27日の上陸をめざして南下した。しかし外南洋部隊から、別に揚陸をめざす海風江風磯風合流して28日上陸するよう命じられ第20駆逐隊サンタイサベル島北の洋上で待機強いられた28日朝に南進再開したが、夕刻ガダルカナル島ヘンダーソン飛行場SBDドーントレス11機が空襲し、朝霧沈没白雲夕霧大破して山田司令戦死し揚陸中止となった無傷だった天霧は、朝霧生存者135名と陸兵330名を乗せ航行不能白雲曳航しショートランド泊地めざした救援駆逐艦陽炎29日合流し30日朝に泊地到着した第20駆逐隊の全僚艦戦線離脱した天霧以降ショートランド拠点輸送作戦従事した佐渡丸浅香丸の物資重火器敷設艦津軽積み替えられ天霧陽炎夕暮哨戒艇1号・2号護衛して9月1日出港ガダルカナル島向かった2日夜に揚陸成功し天霧吹雪白雪飛行場砲撃した5日天霧吹雪白雪陽炎夕暮ガ島輸送8日朝に米軍増援上陸して川口支隊危機に陥り、川内駆逐艦8隻(浦波敷波吹雪白雪天霧陽炎夕立夕暮)が同日夜にルンガ泊地突入したが、上陸船団撤収しており、掃海艇1隻を座礁させたにとどまった日本記録では2隻撃破)。陸軍10日以降飛行場攻撃計画し海軍支援した天霧重巡4隻(鳥海青葉古鷹衣笠)と行動したが、12-14日の川支隊攻撃失敗しショートランド泊地戻った9月17日駆逐艦漣とガ島輸送行った往路で米艦爆3機の空襲受けたが、特設水上機母艦山陽丸零式観測機2機が米艦爆撃退して被害はなく、輸送成功した陸海軍協議大発動艇使った輸送作戦採用され天霧第四水雷戦隊指揮下で潜水艦伊2伊3綾波と共に挺身輸送隊編制した9月27日大発動艇3隻(1隻は放棄)をレンドバ島まで曳航29-30日にも曳航成功し補給中継基地設営支援したその後挺身輸送隊輸送作戦続いた10月1日第20駆逐隊解隊され、天霧第八艦隊編入された。7日大発輸送一時中断となり、天霧第三水雷戦隊編入された。10日時雨白露ガ島輸送した10月大規模なヘンダーソン基地艦砲射撃輸送作戦実行移されたが、11日深夜サボ島沖海戦重巡古鷹吹雪沈没した天霧川内軽巡由良駆逐艦磯波浦波白露時雨12日午前2時にショートランド泊地出撃重巡衣笠輸送隊護衛して帰投した。13日天霧外南洋部隊主隊(鳥海衣笠駆逐艦望月)に編入した。主隊4隻は輸送作戦援護するため同日午後9時に再び出撃14日深夜鳥海衣笠飛行場砲撃し15日帰投した。しかし飛行場健在で、揚陸地点空襲受けた輸送船笹子丸、旧州丸、吾妻山丸が沈没大半物資失われた17日、主隊4隻は再び出撃し、天霧望月飛行場砲撃した陸軍ヘンダーソン飛行場総攻撃計画し支援する日本海軍米軍機動部隊10月26日激突南太平洋海戦勃発した天霧白雪望月と共に飛行場占領後基地航空部隊揚陸する乙増援隊に所属したが、飛行場奪還できず作戦中止された。11月2日天霧衣笠川内初雪第一攻撃隊を編制しサボ島付近に進出して輸送作戦支援したこの後天霧サンタイサベル島レカタ水上機基地への補給任務就いた南太平洋海戦で米機動部隊撃退した日本軍11月、再び金剛型戦艦によるヘンダーソン飛行場艦砲射撃大規模輸送作戦計画した天霧第二水雷戦隊主体輸送部隊田中頼三少将)に加わり望月収容隊を構成した編制第三次ソロモン海戦参照)。輸送部隊11月12日輸送船11隻を護衛してショートランド泊地出港しガダルカナル島向かった14日ラッセル北西海域空母エンタープライズ艦載機ガダルカナル島米軍航空隊エスピリトゥサント島B-17重爆撃機攻撃を受け、輸送船6隻が沈没した天霧550名を救助し損傷した輸送船佐渡丸望月護衛してショートランド帰投した。 12月9日13日駆逐艦夕暮とレカタ基地輸送行った23日津軽ニュージョージア島ムンダ基地輸送行った12月31日御前会議日本軍ガダルカナル島からの撤退決め日本海軍トラック島の主要艦艇整備内地で行うことにした。1943年昭和18年1月6日天霧駆逐艦電はトラック出港。電は横須賀向かい天霧途中で合流した空母瑞鶴重巡鈴谷駆逐艦有明夕暮12日内海西部到着した1月13日から3月10日まで、天霧は呉で修理行った

※この「1942年 ソロモン海の戦い」の解説は、「天霧 (駆逐艦)」の解説の一部です。
「1942年 ソロモン海の戦い」を含む「天霧 (駆逐艦)」の記事については、「天霧 (駆逐艦)」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「1942年 ソロモン海の戦い」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「1942年 ソロモン海の戦い」の関連用語

1942年 ソロモン海の戦いのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



1942年 ソロモン海の戦いのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの天霧 (駆逐艦) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS