1942年から1944年の行動
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「メリーランド (戦艦)」の記事における「1942年から1944年の行動」の解説
損傷の修理と並行して対空火器の増強工事をおこなったメリーランドは、1942年(昭和17年)前半のうちに戦線復帰を果たした。その後も、折を見て対空機銃は増強され続けた。アメリカ海軍標準型戦艦の特徴だった籠マスト (Cage Mast) は、後部のみ戦中期の改装で撤去されたが、前部マストは退役時まで残った。同年5月下旬に日本軍が発動したMI作戦と、それにともなう6月初旬のミッドウェー海戦は日米双方の空母機動部隊同士の決戦となり、戦艦部隊には出番がなかった(両軍戦闘序列)。メリーランドを含めた任務部隊はウィリアム・パイ中将に率いられ、護衛空母ロング・アイランド (USS Long Island, AVG-1) と共にパトロールを実施した。 1943年から1944年にかけてのメリーランドとコロラドは、タラワの戦い、クェゼリンの戦い、サイパンの戦いに参加した。 ガルヴァニック作戦にともなうギルバート・マーシャル諸島の戦いでは、レイモンド・スプルーアンス中将が率いる中部太平洋部隊に所属し、ヒル少将の旗艦として1943年(昭和18年)11月下旬のタラワ攻防戦に参加する(連合軍艦隊、戦闘序列)。第2海兵師団のジュリアン・スミス将軍もメリーランドに乗艦していた。戦艦3隻(メリーランド、コロラド、テネシー)は艦砲射撃で日本軍守備隊の防禦施設を破壊し、アメリカ海兵隊の上陸作戦を支援した。だがメリーランドではタラワに対し最初の斉射を行った時に無線機が故障した。上陸作戦中にも無線機の故障に悩まされた。その後は空母機の地上支援や艦砲射撃の正確性も増し、日本側の抵抗力や反撃を粉砕する。連合軍側は、高性能無線装置を持つ海陸両用作戦用旗艦の必要性など、いくつかの戦訓を学ぶことになった。 1944年(昭和19年)6月、連合軍は中部太平洋を横断してマリアナ諸島を攻撃する。海軍部隊を第5艦隊司令長官スプルーアンス提督が指揮し、メリーランドとコロラドは第52任務部隊(Task Force 52)においてオルデンドルフ提督の火力支援部隊に所属していた(連合軍海上部隊、戦闘序列)。サイパン島での艦砲射撃は6月14日05:45から開始され、まずガラパンを砲撃して、砲台や陣地、小型ボート、トーチカ、弾薬庫を破壊した。つづいてタナパグに対して砲撃を行った。艦砲射撃と空襲で日本軍の抵抗力を削いだあと、アメリカ軍はサイパン島に上陸を開始した。 日本軍は、小沢機動部隊と基地航空部隊で反撃を試みた。6月19日から20日にかけてのマリアナ沖海戦(連合軍呼称“Battle of the Philippine Sea”)で大敗した日本海軍は、各基地の残存航空機で反撃に出る。6月22日、トラック泊地と硫黄島から飛来した小数機が、サイパン島の米軍や同島周辺の米艦隊や輸送船団を攻撃した。このうち一式陸上攻撃機4機がメリーランドを攻撃する。陸攻の雷撃により、右艦首に魚雷1本が命中した。メリーランドは応急修理のために15分後にはエニウェトク環礁への退避を開始し、真珠湾で修理を受けた。艦首に大破孔が出来たために、これらの行程中メリーランドは後進で移動した。2隻の駆逐艦が退避するメリーランドを護衛した。2名がこの攻撃で死亡した。 修理後の1944年9月、ペリリューの戦いで火力支援をおこなう。10月にはレイテ進攻作戦のため、第7艦隊 (U.S. Seventh Fleet) として行動する。メリーランドは、ジェシー・B・オルデンドルフ少将が指揮する第77任務部隊第2群(火力支援、砲撃群)に所属していた。第77任務部隊は、レイテ島上陸作戦を支援した。 同年10月24日深夜から25日未明にかけて、スリガオ海峡で第77任務部隊と、第一遊撃部隊第3部隊(通称“西村艦隊”または“西村部隊”)との間で夜戦が繰り広げられる(レイテ沖海戦、スリガオ海峡夜戦)。西村艦隊は米軍水雷戦隊の襲撃で戦艦扶桑と駆逐艦3隻(満潮、山雲、朝雲)が沈没するか戦闘不能となった。オルデンドルフ中将の戦艦部隊の前に現れたのは、戦艦山城、航空巡洋艦最上、駆逐艦時雨だけだった。メリーランド以下の戦列部隊は、西村艦隊残存3隻に集中攻撃を加える。第77任務部隊は山城を撃沈し、味方駆逐艦アルバート・W・グラント (USS Albert W. Grant, DD-649) を同士討ちで撃破したのみで、最上と時雨に逃げられた。メリーランドは西村艦隊残存3隻を明確に識別できず、ウェストバージニアの弾着の水柱を照準にして砲撃をおこなった。 レイテ島攻防戦における日本陸軍航空部隊の基幹戦力は、第四航空軍(司令官富永恭次陸軍中将)であった。11月29日、一〇〇式司令部偵察機がレイテ湾に集結した連合国軍大輸送船団(輸送船150隻)を発見する。第四航空軍隷下の第2飛行師団は、特別攻撃隊の靖国隊(大坪明陸軍少尉以下一式戦闘機6機、直掩:一式戦5機)を発進させた。靖国隊は同日夕刻にレイテ湾の連合軍大艦隊に突入して、戦艦1隻撃沈、戦艦または巡洋艦1隻大破炎上、輸送船3隻炎上を報じた。連合軍側の記録では、戦艦メリーランド、駆逐艦ソーフリー (USS Saufley,DD-465) 、駆逐艦オーリック (USS Aulick,DD-569) が特攻機の突入で損傷している。メリーランドを攻撃した一式戦「隼」は、前部主砲塔間に体当たりした。炎上した本艦では31人が死亡し、30人が負傷した。メリーランドは修理のため12月18日に真珠湾に帰還した。
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