1942年から1944年の行動とは? わかりやすく解説

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1942年から1944年の行動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 14:26 UTC 版)

メリーランド (戦艦)」の記事における「1942年から1944年の行動」の解説

損傷修理並行して対空火器増強工事おこなったメリーランドは、1942年昭和17年前半のうちに戦線復帰果たしたその後も、折を見て対空機銃増強され続けたアメリカ海軍標準型戦艦特徴だった籠マスト (Cage Mast) は、後部のみ戦中期改装撤去されたが、前部マスト退役時まで残った同年5月下旬日本軍発動しMI作戦と、それにともなう6月初旬ミッドウェー海戦日米双方空母機動部隊同士決戦となり、戦艦部隊には出番がなかった(両軍戦闘序列)。メリーランド含めた任務部隊ウィリアム・パイ中将率いられ護衛空母ロング・アイランド (USS Long Island, AVG-1) と共にパトロール実施した1943年から1944年にかけてのメリーランドコロラドは、タラワの戦いクェゼリンの戦いサイパンの戦い参加したガルヴァニック作戦にともなうギルバート・マーシャル諸島の戦いでは、レイモンド・スプルーアンス中将率い中部太平洋部隊所属しヒル少将旗艦として1943年昭和18年11月下旬タラワ攻防戦参加する連合軍艦隊戦闘序列)。第2海兵師団ジュリアン・スミス将軍メリーランド乗艦していた。戦艦3隻(メリーランドコロラドテネシー)は艦砲射撃日本軍守備隊防禦施設破壊しアメリカ海兵隊の上作戦支援した。だがメリーランドではタラワ対し最初斉射行った時に無線機故障した上陸作戦中にも無線機故障悩まされた。その後空母機の地上支援艦砲射撃正確性増し日本側の抵抗力反撃粉砕する連合軍側は、高性能無線装置を持つ海陸両用作戦旗艦必要性など、いくつかの戦訓を学ぶことになった1944年昭和19年6月連合軍中部太平洋横断してマリアナ諸島攻撃する海軍部隊第5艦隊司令長官スプルーアンス提督指揮しメリーランドコロラドは第52任務部隊Task Force 52)においてオルデンドルフ提督火力支援部隊所属していた(連合軍海上部隊戦闘序列)。サイパン島での艦砲射撃6月14日05:45から開始され、まずガラパン砲撃して砲台陣地小型ボートトーチカ弾薬庫破壊したつづいてタナパグに対して砲撃行った艦砲射撃空襲日本軍抵抗力削いだあと、アメリカ軍サイパン島上陸開始した日本軍は、小沢機動部隊基地航空部隊反撃試みた6月19日から20日にかけてのマリアナ沖海戦連合軍呼称Battle of the Philippine Sea”)で大敗した日本海軍は、各基地残存航空機反撃に出る6月22日トラック泊地硫黄島から飛来し小数機が、サイパン島米軍や同島周辺の米艦隊輸送船団攻撃したこのうち一式陸上攻撃機4機がメリーランド攻撃する陸攻雷撃により、右艦首魚雷1本が命中したメリーランド応急修理のために15分後にはエニウェトク環礁への退避開始し真珠湾修理受けた艦首大破孔が出来たために、これらの行程メリーランド後進移動した。2隻の駆逐艦退避するメリーランド護衛した。2名がこの攻撃死亡した修理後1944年9月ペリリューの戦い火力支援をおこなう。10月にはレイテ進攻作戦のため、第7艦隊 (U.S. Seventh Fleet) として行動するメリーランドは、ジェシー・B・オルデンドルフ少将指揮する第77任務部隊第2群火力支援砲撃群)に所属していた。第77任務部隊は、レイテ島上陸作戦支援した同年10月24日深夜から25日未明にかけて、スリガオ海峡第77任務部隊と、第一遊撃部隊第3部隊(通称西村艦隊”または“西村部隊”)との間で夜戦繰り広げられるレイテ沖海戦スリガオ海峡夜戦)。西村艦隊米軍水雷戦隊襲撃戦艦扶桑駆逐艦3隻(満潮山雲朝雲)が沈没する戦闘不能となったオルデンドルフ中将戦艦部隊前に現れたのは、戦艦山城航空巡洋艦最上駆逐艦時雨けだったメリーランド以下の戦列部隊は、西村艦隊残存3隻に集中攻撃加える。第77任務部隊山城撃沈し味方駆逐艦アルバート・Wグラント (USS Albert W. Grant, DD-649) を同士討ち撃破したのみで、最上時雨逃げられた。メリーランド西村艦隊残存3隻を明確に識別できず、ウェストバージニア弾着水柱照準にして砲撃おこなったレイテ島攻防戦における日本陸軍航空部隊基幹戦力は、第四航空軍司令官富永恭次陸軍中将であった11月29日一〇〇式司令部偵察機レイテ湾集結した連合国軍輸送船団輸送船150隻)を発見する第四航空軍隷下の第2飛行師団は、特別攻撃隊靖国隊(大坪陸軍少尉下一戦闘機6機、直掩一式戦5機)を発進させた。靖国隊は同日夕刻レイテ湾連合軍大艦隊に突入して戦艦1撃沈戦艦または巡洋艦1隻大破炎上輸送船3隻炎上報じた連合軍側の記録では、戦艦メリーランド駆逐艦ソーフリー (USS Saufley,DD-465) 、駆逐艦オーリック (USS Aulick,DD-569) が特攻機突入損傷している。メリーランド攻撃した一式戦「隼」は、前部主砲塔間に体当たりした炎上した本艦では31人が死亡し30人負傷したメリーランド修理のため12月18日真珠湾帰還した

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