進攻作戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/08 09:21 UTC 版)
3月15日未明、日本軍は進撃を開始、中央を進む第34師団は17日高安を攻略した。北翼の第33師団は、予定通り第70軍(予備第9師と第19師)を北から攻撃して南方へ圧迫、目的を達成して19日に反転を開始、23日に安義に帰還した。 その頃、第34師団と独立混成第20旅団(以下、池田旅団)は上高を目指して西進を始めた。20日、第34師団は錦江支流の泗水を渡河して上高に迫った。しかし、錦江南岸を進撃する池田旅団の一部(贛江支隊)は、19日に優勢な第26師(第49軍)の反撃を受けて激戦となり、旅団主力も第51師(第74軍)と激戦を交えながら進んだ。 主攻の第34師団は、22日から上高城内に対する攻撃を始めたが、泗水を渡河する前後から背後に優勢な中国軍があふれ始め、自衛戦闘力の乏しい師団戦闘指揮所や行李、野戦病院に猛攻を加えてきた。この中国軍は、第33師団に圧迫されて南方へ退却してきた予備第9師と第19師の2個師であり、第33師団が目的を達成したことで、第34師団が攻撃を受けることになってしまったのである。中国軍は師団司令部への近接攻撃を繰り返し、大賀師団長の行李(私物入れ)が奪われるほど切迫した状態になった(後に中国紙は「大賀中将は戦死せり」と誇大に報じた)。第74軍の抵抗は激しく死傷者が増加したため、23日、第34師団は上高への突入は断念し、城内への砲撃だけを続けていた。
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