進新学校・常入学校が置かれていた頃まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/15 15:18 UTC 版)
「上田市立東小学校」の記事における「進新学校・常入学校が置かれていた頃まで」の解説
1872年の学制頒布により翌1873年には小県郡房山村に明倫学舎が、同郡踏入村には成明学校が設置される。1874年には明倫学舎が進新学校と改称し1876年には常田村と踏入村の合併で常入学校と改称したが1886年に小県郡上田町・常磐城村の小学校と合併し上田学校が発足すると常入学校は廃止。進新学校は房山分教場となる。しかし1889年に常入村が上田町に合併されると房山分教場は廃止された。結果町立上田尋常小学校男子校・女子校(1895年から町立上田尋常高等小学校となる)への登校を余儀無くされてしまう(従って2校は前身に含めず略年表に記載されない)。
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