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りゃく‐ねんぴょう〔‐ネンペウ〕【略年表】

読み方:りゃくねんぴょう

主な事柄だけを簡略にまとめた年表


略年表(『飯香岡八幡宮由緒本記』による)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/01 03:30 UTC 版)

飯香岡八幡宮」の記事における「略年表(『飯香岡八幡宮由緒本記』による)」の解説

景行天皇40年110年頃 - 日武尊東征の時、六所御影神社休息したという。その際社人が尊に食事捧げたところ、飯の香り賞した故事により、御影山を「飯香岡(いいがおか)」と呼ぶことになったという。 天武天皇白鳳4年675年) - 勅使桜町季満・奉幣使菅原時春が下向し、神殿を飯香岡に創建し誉田別尊以下三神を奉斎する。その際勅使桜町季満が詠んだ和歌君がた今日植ゑそへしちちの木に幾世へむとも神やどるらむ」 天平勝宝元年749年) - 社殿造営する天平宝字3年759年) - 勅命により一国一社八幡宮となり、国府総社称せられる。 元慶3年879年3月 - 朝廷により社殿造営される。 天慶3年940年) - 社殿造営寛弘5年1008年) - 鎮守府将軍源頼光により社殿造営される。 康平7年1064年) - 鎮守府将軍源頼義造営料として米1000石を寄進する治暦元年1065年) - 源頼義寄進により、社殿造営する寛治5年1091年) - 源義家鉄製矢筒一箇と矢鏃二本寄進する保元3年1158年10月 - 石清水八幡宮諸国荘園官符中に上総国市原別宮」の記事あり。 承安元年1171年) - 千葉常胤武運長久家門繁栄祈願し社殿修理を行う。 治承4年1180年) - 源頼朝太刀一振奉納する同年12月 - 所領は、市原八幡郷内一二町、菊間郷内八町市原村内五町、府中六町郡元村内七町、村上村六町、相写村内六町山木村内五町、大厩谷村内五町、海上軍伊隔荘小野田郷内四町五反皆吉村内四町三反、久吉村内五町三反、畔蒜郡菅生伊豆嶋村内五町、大成村内五町、市原郡市東荘相角村内五町八反馬場村真生五町二反、山辺郡神房村内五町、宮谷村内五町、夷隅郡伊保田藤村内五町、筒森村内五町五反、夷北荘萩原村五町二反、今関村内五町、南夷南荘江渡村内五町、石神村内五町、夷隅郡荒田野荘国府台内五町八反荒田野内五町四反等であった同年12月 - 安達盛長市東荘を奉納する文治5年1189年) - 源頼朝奥州藤原泰衡征伐のため、武運長久祈願し安達盛長奉幣使として太刀一振甲冑一領寄進する建久3年1192年8月 - 源頼朝飯香岡八幡宮保護するため、府中五井惣社市原菊間八幡郷へ禁制制札掲げさせる。 建久4年1193年8月15日 - 源頼朝天下掌握祈願のため宮殿新造する。この時の名代藤原親能中原仲業・奉行和田義盛神主市川誉田斎宮藤原義重・大工棟梁修理正広正嘉2年1258年3月 - 市東領主左右衛門尉藤綱祈願成就のため太刀一振奉納する弘安4年1281年2月 - 征夷大将軍惟康親王北条宣時幣帛を奉ぜさせ、太刀一振・弓一張奉納する同年6月 - 蒙古襲来元寇)により、国家安穏武運長久祈祷下知をうける。 同年9月 - 蒙古追討祈願賞され祭祀厳重に執行するように仰せられる14世紀前半12月13日 - 鎌倉幕府管領長崎高資大輔律師俊珎を上総国市原八幡宮飯香岡八幡宮別当補任する(尊経閣文書)。 正平5年観応元年1350年10月26日 - 室町幕府執事高師直地蔵院僧正覚雄を上総国市原八幡宮飯香岡八幡宮)の別当職に補任する(尊経閣文書)。同年11月18日 - 足利義詮高師直命じ使者遣わして上総市原八幡宮飯香岡八幡宮別当職を地蔵院覚雄に交付させる(東寺文書)。 正平6年観応2年1351年7月16日 - 武田資嗣、幕府の命を受けて上総国市原八幡宮飯香岡八幡宮別当職を醍醐寺地蔵院僧正覚雄に交付する前田家所蔵文書)。 正平13年延文3年1358年11月11日 - 神事流鏑馬務めていた円蔵剃髪して円蔵源明解明し境内に一坊を建てるという。 正平24年応安2年1369年) - 足利義満祈願のため宮殿造営する。そのため奉行上杉中務少輔八幡宮来宮する。 建徳2年応安4年1371年) - 石川左近将監違乱により、市原八幡宮飯香岡八幡宮)の社務神事闕怠する(尊経閣文書)。 文中元年応安5年1372年5月 - 五月会費用負担53750文を豊成・島穴・青柳・入沼・郡本各郷に配分する(尊経閣文書)。 文中4年応安8年1375年2月10日 - 上総国市原八幡宮飯香岡八幡宮)の国役・荘役を、山辺・武射・刑部佐是長柄・長北・埴生市東・市西・与宇呂保・山田・望東各郡保に配分する三宝院文書)。 弘和3年永徳3年1383年) - 足利義満社殿改造する正中元年至徳元年1384年) - 足利義満祈願成就により御輿4社を造立奉納する神輿墨書によると、鎌倉法華堂下中小路にて造営される。 正中4年嘉慶元年1387年9月 - 足利義満祈願のため一の大鳥居寄進する応永19年1412年1月 - 足利義持武運長久国家安泰祈願のため太刀一振奉納する長禄3年1459年3月 - 幣殿・拝殿新造したき旨、足利義政代官太田左衛門佐持資へ願い出たところ将軍義政受け入れられ、御営金として1000両が寄付される。これにより本殿修復加えて幣殿・拝殿向拝神前石檀石・瑞籬等までも建立する寛正元年1460年) - 足利義明社殿新造する。 寛正6年1465年8月15日 - 足利義明舎弟源基頼、太刀一振奉納する同年 - 足利義明八幡御所)、一の大鳥居建立する文明元年1469年8月 - 足利義明祈願により、檜皮葺屋根銅板屋根葺替えし、その外造営寄進をする。この時、真里谷式部入道恕鑑が奉行する。 天文8年1539年8月 - 小弓御所御殿の跡へ白幡権現の社を勧請し飯香岡八幡宮神官幣帛奉る天文16年1547年) - 社殿修理を行う。 永禄2年1559年3月 - 千葉介平富胤舎弟菊間城主千葉源三平親胤、祈願により一の鳥居再建寄進する元亀2年1571年7月 - 織田信長神田を奪う。 天正8年1576年8月 - 先年より神領減石し、自力での造営叶い難く、諸郷肝心許し国主北条家願い出る。これに対し城代北条治郎少輔遠山左衛門尉神領除地等を尋ね飯香岡八幡宮は「差上」を提出するという。 天正9年1581年7月 - 飯香岡八幡宮造営のため「新市」を建てることが免許される。また八幡守護不入の地となる。 天正18年1590年3月 - 徳川家要所青山藤蔵由緒神領除地等を調べる。八幡宮では書上絵図等を差出す同年5月 - 徳川家より上総国市原八幡郷へ禁制軍勢甲乙人乱妨狼藉事以下二カ条)が下される天正19年1591年11月 - 徳川家康神領150石を寄進する飯香岡八幡宮祭礼格式なる。 天正20年1592年8月15日 - 本多弥八郎正綱、徳川家康武運長久祈り大太刀寄進する同年10月 - 社僧円蔵坊・寂光坊・円乗坊・本覚坊の四坊、社僧として相勤めるという。 文禄2年1593年8月 - 千葉富胤、甲冑一領寄進する文禄3年1594年3月 - 一宇造立する。この時の神主は誉田大内亮、代官大塚助之丞であったまた、社記によれば、この時永井右近太夫は、本殿修理拝殿修理のため御造営料として御蔵米200俵を寄進したという。 慶長9年1604年) - 改修を行う。 元和2年1616年4月17日 - 徳川家康東照大権現神号宣下につき、御神忌祭を以下毎年執行する元和3年1617年3月 - 徳川秀忠鉄扇1箇を寄進する元和9年1623年) - 徳川秀忠家光上洛につき、天下太平武運長久祈願7日間行う。 寛永3年1626年9月 - 徳川秀忠太政大臣任官につき、七日天下太平武運長久祈願を行う。 寛永5年1628年4月 - 徳川家光日光東照宮社参につき、三日天下太平祈願を行う。 寛永7年1630年5月 - 徳川秀忠家光日光東照宮社参につき、三日武運長久祈願を行う。また、足利義満奉納御輿4社の修理を行う。三の宮鳳凰菊間八幡神社社家玄蕃寄進する寛永11年1634年7月 - 徳川家光上洛につき、天下太平武運長久祈願7日間行う。 寛永13年1636年1月 - 徳川家光日光東照宮社参につき、天下太平武運長久祈願3日間行う。 同年4月 - 徳川家光太刀一振り奉納する寛永17年1640年4月 - 徳川家光日光東照宮社参につき、天下太平武運長久祈願3日間行う。 寛永18年1641年4月 - 徳川家光日光東照宮社参につき、天下太平武運長久祈願3日間行う。 慶安2年1649年4月 - 徳川家光日光東照宮社参につき、天下太平武運長久祈願3日間行う。 承応2年1653年8月 - 大鳥居修復する材木下総国千葉寺清地選定する明暦元年1655年10月 - 梵鐘鋳造する寛文2年1662年9月 - 手水鉢奉納される寛文3年1663年4月 - 徳川家綱日光東照宮社参につき、天下太平武運長久祈願3日間行う。 寛文4年1664年4月 - 永井豊前守直頼、額一面寄進する貞享3年1686年5月 - 田中佐助川口助兵衛二名により随奉納される元禄4年1691年) - 堀飛騨守直宥・大久保伊豆守幣殿・拝殿改造のために寄進す。 元禄7年1694年6月12日 - 飯香岡八幡宮放生会際し榊原七良右衛門が雄1096羽を放つ元禄8年1695年6月11日 - 境内社御影社、杉井左右衛門常政により再建される元禄10年1697年6月11日 - 瑞垣が、杉井左右衛門常政により造営される。同年8月 - 『飯香岡八幡宮由緒本記』成立する正徳5年1715年4月17日 - 日光東照宮一百年祭に際し臨時大祭3日間行う。 享保13年1728年4月 - 徳川吉宗日光東照宮社参につき、天下太平武運長久祈願3日間行う。 同年11月 - 社殿改修する宝暦10年1760年) - 『飯香岡八幡宮伝記』が成立する文化12年1815年4月 - 東照宮二百年祭に当たり、府中及び翼下8ヶ廻文廻し臨時大祭を行う。 文政2年1819年8月 - 『年中神祭行事書留』を記し置く。 天保6年1835年7月 - 社殿修復を行う。 弘化2年1845年8月 - 一の宮二の宮三の宮若宮神輿新造する。 万延元年1860年10月3日 - 生実城森川出羽守太刀一振奉納する文久元年1861年11月 - 社殿改修を行う。 慶応4年1868年)閏4月7日 - 神主市川信明、有栖川宮熾仁親王拝謁し玉串祈願)を献上する明治4年1871年11月20日 - 郷社に列格する。旧高150石その他除地類を奉還する明治5年1872年) - 千葉県庁より祭礼費の供進あり。 明治6年1873年) - 千葉県庁より以降10年間、祭典営繕費支給される明治9年1876年8月 - 内務省の上千葉県柴原和より旧高150石を無代下渡される。 明治11年1878年3月 - 千葉県庁明治七・八年の年貢免除と旧高150物成米祭典営繕費として支給するように懇願5月懇願通り支給される明治13年1880年4月3日 - 150物成をもって千葉警察署八幡分署新築献納する明治24年1891年3月13日 - 拝殿天井修復明治26年1893年4月24日 - 県社列する明治35年1902年8月 - 五の宮が新たに加わり神輿新造する。 明治37年1904年3月3日 - 拝殿幣殿大床吹抜格子修復工事を行う。 昭和10年1935年7月12日 - 夫婦銀杏が県指定文化財となる。 昭和27年1952年9月28日 - 一の宮神輿新造する。 昭和28年1954年7月12日 - 若宮神輿新造する。 昭和29年1954年9月17日 - 本殿国の重要文化財指定される昭和40年1965年9月5日 - 二の宮三の宮・五の宮の神輿新造する。後藤直光作。 昭和41年1966年) - 拝殿、県指定文化財となる。 昭和43年1968年12月31日 - 本殿修理工事竣功平成9年1997年3月15日 - 一の宮神輿新造する。

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