岸和田城の略年表
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/25 13:44 UTC 版)
和暦西暦主な出来事応永15年 1408年 細川頼長・細川基之が和泉国の上下半国守護となり岸和田城に入る 明応9年 1500年 畠山尚順が和泉上下守護を破り城を落とすが、赤沢朝経に奪還される 永正5年 1508年 細川元常が阿波に逃れ、守護代の松浦盛が岸和田領を統治する 永正8年 1511年 細川元常が再び阿波に逃れ、細川高基、細川晴宣が和泉上下守護となる 大永7年 1527年 細川晴元が「堺公方府」を開き、細川元常が和泉守護として帰還する 天文18年 1549年 江口の戦いで三好長慶が細川晴元を倒し、松浦守が城主となる 永禄3年 1560年 長慶の実弟・十河一存が岸和田城に入り、松浦万松を後見する 永禄5年 1562年 畠山高政が久米田の戦いに勝利し、松浦虎が岸和田城に入る 永禄9年 1566年 松浦光が三好三人衆に敗れ、岸和田城に籠城する 天正3年 1575年 松浦光が家臣の松浦宗清に討たれる 天正5年 1577年 織田信長が紀州征伐を行う。その後、織田信張が岸和田城に入る 天正10年 1582年 織田重臣の蜂屋頼隆が岸和田城に入る 天正11年 1583年 羽柴秀吉の家臣中村一氏が岸和田城に入る 天正12年 1584年 根来衆・雑賀衆が来襲し、岸和田合戦がおこる(蛸地蔵伝説) 天正13年 1585年 羽柴秀吉が岸和田城に入り根来寺を焼く。ついで小出秀政が城主となる 慶長2年 1597年 岸和田城の天守が竣工する 元和5年 1619年 小出氏転封後、松平康重が入城して総構えと城下町を整備する 元和9年 1623年 伏見城より伏見櫓が二の丸に移築される 寛永17年 1640年 松平康重転封後、高槻城より岡部宣勝が入城する 文政10年 1827年 天守が落雷のため焼失。再建されず 明治4年 1871年 廃藩置県により岡部長職は東京に居住し、岸和田城は廃城となる 昭和18年 1943年 大阪府史跡に指定される 昭和29年 1954年 現在の連結式望楼型3重の復興天守が再建される 昭和44年 1969年 多門櫓・隅櫓、櫓門が復興再建される 平成4年 1992年 天守閣屋根の葺き替え、外壁塗り替えなどの改修工事が行なわれる
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