岸和田の発祥?
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/11 01:15 UTC 版)
陽翁の創作物『太平記評判秘伝理尽鈔』(1600年前後?)では、正慶2年(1333年)に正成が摂津・河内・和泉の三国を賜ると、正成は「和田信三郎」という人物に和泉守を譲り、その後「和田新兵衛尉高家」という人物が和泉国の岸和田城に籠城したという記述がある。 『太平記評判秘伝理尽鈔』の記述を元に、石橋直之『泉州志』(元禄13年(1700年))は、和田高家は「岸村」と呼ばれている所に城(後の岸和田古城)を築き、地名と高家の苗字の和田が合わさり、同地が岸和田と呼ばれるようになったなどとした。また、高家の息子が和田正武であるという。 しかし、山中吾郎・辻陽史らの調査の結果、和田高家が岸和田の由来の人物とするのは『太平記評判秘伝理尽鈔』『泉州志』にまでしか辿れない上に、その時代に岸和田古城が実在したかどうかすら疑問視されている。発掘調査によれば、岸和田古城が築かれたのは高家の時代から150年以上後の15世紀後半である。 また、岸和田という地名の由来についても、同じ南朝武将で一次史料から実在が確実な岸和田治氏(もしくはその親族)を発祥とする方が有力視されている。
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