略年表:官職および位階等の履歴とは? わかりやすく解説

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略年表:官職および位階等の履歴

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/27 04:00 UTC 版)

松平光長」の記事における「略年表:官職および位階等の履歴」の解説

元和元年1615年越前国北ノ荘(福井)城で誕生元和7年1621年江戸へ行く。外祖父である将軍徳川秀忠初見以後江戸城中に養育される。 元和9年1623年2月22日、父・忠直配流により「祖父秀康以来遺跡越前国一円領知すべき旨」によって、越前入国する同年7月 幕使が派遣され江戸へ戻され越前家相続反故となる。 寛永元年1624年4月15日越後高田藩26万石にて立藩寛永6年1629年叔父である将軍徳川家光一字を賜って元服し、光長と名乗る11月11日従四位下に叙位左近衛権少将任官越後守兼任寛永7年1630年) 妹・亀子(寧子)、大御所徳川秀忠養女として高松宮好仁親王正室となる。 寛永8年1631年毛利秀就の娘・土佐姫を正室迎える。 寛永9年1632年) 妹・鶴子将軍徳川家光養女として九条道房正室となる。 慶安3年1650年) 父・忠直死去豊後生まれた忠直遺児3人(永見長頼永見長良、勘姫)を高田引き取る慶安4年1651年12月15日従三位右近衛権中将叙任承応2年1653年嫡子・綱賢元服従四位下侍従・下野守叙任明暦元年1655年) 娘・国姫松平光通正室となる。 万治元年1658年) 娘・稲姫伊達宗利正室となる。 寛文6年1666年) 綱賢、左近衛権少将叙任寛文12年1672年) 母・勝姫高田殿)死去延宝2年1674年) 綱賢死去。甥の綱国が養嗣子となり、従四位上侍従三河守叙任延宝5年1677年正室土佐死去天和元年1681年6月26日改易。光長は伊予松山藩に、綱国は備後福山藩配流。賄料1万俵。 貞享4年1687年10月24日赦免召還 12月25日従三位復位し右近衛権中将復任し、越後守兼任。3俵。江戸柳原住居する。のちこの屋敷火災焼失元禄6年1693年嫡子・綱国を廃嫡し、松平直矩の子・矩栄が養嗣子迎えられる。父・直矩と光長のそれぞれ一字を受け長矩と改名する(源之助→矩栄→長矩→宣富)。 元禄10年1697年5月6日隠居元禄11年1698年養子松平長矩美作津山藩拝領。光長には合力米年3俵。 宝永4年1707年江戸高田にて死去享年92(満91歳没)。

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