略年表:官職および位階等の履歴
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「松平光長」の記事における「略年表:官職および位階等の履歴」の解説
元和元年(1615年) 越前国北ノ荘(福井)城で誕生。 元和7年(1621年) 江戸へ行く。外祖父である将軍・徳川秀忠初見。以後江戸城中にて養育される。 元和9年(1623年)2月22日、父・忠直配流により「祖父秀康以来の遺跡越前国一円領知すべき旨」によって、越前へ入国する。 同年7月 幕使が派遣され、江戸へと戻され、越前家相続は反故となる。 寛永元年(1624年)4月15日、越後高田藩26万石にて立藩。 寛永6年(1629年) 叔父である将軍・徳川家光の一字を賜って元服し、光長と名乗る。11月11日、従四位下に叙位。左近衛権少将に任官。越後守を兼任。 寛永7年(1630年) 妹・亀子(寧子)、大御所・徳川秀忠の養女として高松宮好仁親王の正室となる。 寛永8年(1631年) 毛利秀就の娘・土佐姫を正室に迎える。 寛永9年(1632年) 妹・鶴子、将軍・徳川家光の養女として九条道房の正室となる。 慶安3年(1650年) 父・忠直死去。豊後で生まれた忠直の遺児3人(永見長頼、永見長良、勘姫)を高田に引き取る。 慶安4年(1651年)12月15日、従三位右近衛権中将に叙任。 承応2年(1653年) 嫡子・綱賢元服。従四位下侍従・下野守に叙任。 明暦元年(1655年) 娘・国姫、松平光通の正室となる。 万治元年(1658年) 娘・稲姫。伊達宗利の正室となる。 寛文6年(1666年) 綱賢、左近衛権少将に叙任。 寛文12年(1672年) 母・勝姫(高田殿)死去。 延宝2年(1674年) 綱賢死去。甥の綱国が養嗣子となり、従四位上侍従三河守に叙任。 延宝5年(1677年) 正室・土佐姫死去。 天和元年(1681年)6月26日、改易。光長は伊予松山藩に、綱国は備後福山藩に配流。賄料1万俵。 貞享4年(1687年)10月24日、赦免召還 12月25日、従三位に復位し、右近衛権中将に復任し、越後守を兼任。3万俵。江戸・柳原へ住居する。のちこの屋敷は火災で焼失。 元禄6年(1693年) 嫡子・綱国を廃嫡し、松平直矩の子・矩栄が養嗣子に迎えられる。父・直矩と光長のそれぞれ一字を受け長矩と改名する(源之助→矩栄→長矩→宣富)。 元禄10年(1697年)5月6日、隠居。 元禄11年(1698年) 養子・松平長矩が美作津山藩拝領。光長には合力米年3万俵。 宝永4年(1707年) 江戸・高田にて死去。享年92(満91歳没)。
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