1942年5月-7月 東京湾
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/30 06:26 UTC 版)
「第十五号駆潜艇」の記事における「1942年5月-7月 東京湾」の解説
1942年5月1日、第二駆潜隊の3隻は役務を横須賀鎮守府警備駆潜艇に定められ、第二駆潜隊は横須賀防備戦隊に編入、軍隊区分東京湾方面部隊第一掃蕩攻撃隊第二小隊に配置。2日、スラバヤ発。バタヴィアで水路の警戒と船団護衛に従事していた第13号駆潜艇、第14号駆潜艇と合同し、高雄へ向かう。15日、第二駆潜隊が解隊され、元第二駆潜隊の3隻は横須賀防備戦隊に編入。21日、本艇は駆潜隊司令旗を撤去し、元第二駆潜隊の3隻は第13号駆潜艇長の指揮により内地へ向け高雄発。28日、特設駆潜艇こうせい丸の嚮導を受け横須賀に入港。29日、横須賀防備戦隊司令官の巡視を受ける。30日、第一掃蕩攻撃隊第一小隊の特務艇浮島、同猿島と合同のため横須賀を出撃し、稲取沖の合同海面へ向かう。合同後は伊豆大島西方海面で対潜掃蕩を実施。31日からは、30日に第14号駆潜艇が潜水艦を探知した地点を中心に捜索を実施。 6月3日、哨区を徹して伊東に回航。4日、一旦浦賀に帰投して補給を行う。5日、波浮港へ進出のため浦賀を出撃。同日、剱埼灯台沖で爆雷戦を実施。7日から波浮港を拠点として、第14号駆潜艇と交代で伊豆大島-新島間、伊豆大島-野島間の哨戒と対潜掃蕩に従事。9日、哨区を徹して浦賀へ回航し、東京湾内の哨戒に従事。12日、相模灘で行動中の浮島と合同のため浦賀を出撃。浮島と合同後は相模灘の哨区で哨戒に従事。15日、補給のため哨区を徹して浦賀に帰投。16日、横須賀鎮守府部隊の警戒部隊を護衛するため相模灘へ向け出撃。17日、哨区を徹して横須賀へ回航し、横須賀海軍工廠で29日まで入渠整備を実施。29日出渠し、長浦へ回航。 7月2日、館山へ進出して第13号駆潜艇や第14号駆潜艇と交代しつつ、伊豆大島付近の哨区で行動する。13日、11日に三宅島と御蔵島で不時着した瑞鶴爆撃機搭乗員の救難に従事。
※この「1942年5月-7月 東京湾」の解説は、「第十五号駆潜艇」の解説の一部です。
「1942年5月-7月 東京湾」を含む「第十五号駆潜艇」の記事については、「第十五号駆潜艇」の概要を参照ください。
1942年5月-7月 東京湾
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/23 08:31 UTC 版)
「第十四号駆潜艇」の記事における「1942年5月-7月 東京湾」の解説
1942年5月1日、第二駆潜隊の3隻は役務を横須賀鎮守府警備駆潜艇に定められ、第二駆潜隊は横須賀防備戦隊に編入、軍隊区分東京湾方面部隊第一掃蕩攻撃隊第二小隊に配置。同日、バタヴィアからスラバヤへ回航する陸軍船団をバタヴィア水路北口から護衛。その後、スラバヤを出港した第15号駆潜艇と合同し、内地へ回航のため高雄へ向かう。15日、第二駆潜隊が解隊され、元第二駆潜隊の3隻は横須賀防備戦隊に編入。21日、元第二駆潜隊の3隻は第13号駆潜艇長の指揮により内地へ向け高雄発。28日、特設駆潜艇こうせい丸の嚮導を受け横須賀に入港。29日、横須賀防備戦隊司令官の巡視を受ける。30日、第一掃蕩攻撃隊第一小隊の特務艇浮島、同猿島と合同のため横須賀を出撃し、稲取沖の合同海面へ向かう。合同後は伊豆大島西方海面で対潜掃蕩を実施。同日、神子元島沖で爆雷戦を実施。 6月3日、哨区を徹して伊東に回航。4日、一旦浦賀に帰投して補給を行う。5日、波浮港へ進出のため浦賀を出撃。同港を拠点として、7日から第15号駆潜艇と交代で伊豆大島-新島間、伊豆大島-野島間の哨戒と対潜掃蕩に従事。9日、哨区を徹して浦賀へ回航し、東京湾内の哨戒に従事。12日、相模灘で行動中の浮島との合同を命じられたが出撃はせず、28日まで横須賀海軍工廠で整備と入渠修理を実施。28日、修理完了し、伊豆大島沖で行動中の第13号駆潜艇と合同のため横須賀発。29日、第13号駆潜艇との洋上での合同を中止して伊豆大島乳ヶ埼沖を通過するぶらじる丸の護衛に従事し、ぶらじる丸の護衛後は館山へ回航。同日、館山を出撃して野島埼灯台沖へ向かい、30日から第二水雷戦隊の陽炎駆逐艦長指揮下で対潜掃蕩に従事。 7月1日、野島埼灯台沖での掃蕩を中止し、館山へ回航。館山で警泊ののち下田へ回航。以後、下田を基地として第13号駆潜艇や第15号駆潜艇と交代しつつ、伊豆大島付近の哨区で行動する。
※この「1942年5月-7月 東京湾」の解説は、「第十四号駆潜艇」の解説の一部です。
「1942年5月-7月 東京湾」を含む「第十四号駆潜艇」の記事については、「第十四号駆潜艇」の概要を参照ください。
1942年5月-7月 東京湾
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/30 06:09 UTC 版)
「第十三号駆潜艇」の記事における「1942年5月-7月 東京湾」の解説
1942年5月1日、第二駆潜隊の3隻は役務を横須賀鎮守府警備駆潜艇に定められ、第二駆潜隊は横須賀防備戦隊に編入、軍隊区分東京湾方面部隊第一掃蕩攻撃隊第二小隊に配置。同日、バタヴィアからスラバヤへ回航する陸軍船団をバタヴィア水路北口まで護衛。同船団の護衛を第14号駆潜艇に引き継いだ後は、水路北口の警戒に従事。その後、スラバヤを出港した第15号駆潜艇と合同し、内地へ回航のため高雄へ向かう。15日、第二駆潜隊が解隊され、元第二駆潜隊の3隻は横須賀防備戦隊に編入。21日、元第二駆潜隊の3隻は本艇長の指揮により内地へ向け高雄発。28日、特設駆潜艇こうせい丸の嚮導を受け横須賀に入港。29日、横須賀防備戦隊司令官の巡視を受ける。本艇は横須賀到着後に入渠修理を予定していたが30日、第一掃蕩攻撃隊第一小隊の特務艇浮島、同猿島と合同のため横須賀を出撃し、稲取沖の合同海面へ向かう。合同後は伊豆大島西方海面で対潜掃蕩を実施。31日からは、30日に第14号駆潜艇が潜水艦を探知した地点を中心に捜索を実施。 6月3日、哨区を徹して伊東に回航。4日、一旦浦賀に帰投して補給を行う。補給後は伊豆大島波浮港に進出する予定だったが、機械故障のため僚艇から分離し新島へ向かう。5日、風早埼沖で爆雷戦を実施。7日、長浦に帰投し、機械の修理に着手。24日、波浮港へ進出。同港到着後、伊豆大島-新島間の哨区で行動。28日、伊豆大島-新島-石室埼を結んだ海域で対潜掃蕩に従事。29日、第14号駆潜艇との合同と、合同後の対潜掃蕩を命じられ波浮港を出港。同日館山で第14号駆潜艇と合同し、野島埼灯台沖の潜水艦掃蕩に向かう。30日、補給のため長浦に帰投。 7月1日、石室埼沖の哨区へ向け長浦発。以後、第14号駆潜艇や第15号駆潜艇と交代しつつ、伊豆大島付近の哨区で行動する。7日、伊豆大島岡田港を出港し、横須賀へ向かう特務艦佐多を護衛。護衛終了後、岡田港に帰投。13日、11日に三宅島と御蔵島で不時着した瑞鶴爆撃機搭乗員の救難に従事。
※この「1942年5月-7月 東京湾」の解説は、「第十三号駆潜艇」の解説の一部です。
「1942年5月-7月 東京湾」を含む「第十三号駆潜艇」の記事については、「第十三号駆潜艇」の概要を参照ください。
- 1942年5月-7月 東京湾のページへのリンク