1942年11月-1943年4月 修理-熊野灘
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「第十五号駆潜艇」の記事における「1942年11月-1943年4月 修理-熊野灘」の解説
1942年11月20日、第五駆潜隊の3隻は役務を横須賀鎮守府警備駆潜艇に定められ、第五駆潜隊は横須賀防備戦隊に編入、軍隊区分直接護衛部隊に配置。 12月9日、第五駆潜隊各艇は横須賀防備戦隊司令官の巡視を受ける。24日、第五駆潜隊が解隊され、横須賀防備戦隊に編入。本艇は軍隊区分直接護衛部隊から除かれ、軍隊区分東京湾部隊に配置。 1943年2月1日、石川島造船所での修理を終了し横須賀へ回航。10日、軍隊区分東京湾部隊から除かれ、軍隊区分熊野灘部隊に配置。11日、尾鷲への回航を兼ねて西行7211船団(3隻)の間接護衛のため横須賀発。13日、由良沖で船団の護衛を止め、同日尾鷲着。20日、特設砲艦吉田丸が大山沖で被雷し航行不能となった際は、一時的に伊勢湾部隊指揮官の指揮下に入り22日まで大山沖で対潜掃蕩に従事。掃蕩後に哨区へ復帰する。
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