1942年12月-1943年4月 伊勢湾とは? わかりやすく解説

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1942年12月-1943年4月 伊勢湾

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/23 08:31 UTC 版)

第十四号駆潜艇」の記事における「1942年12月-1943年4月 伊勢湾」の解説

1942年12月24日第五駆潜隊解隊され、横須賀防備戦隊編入。本艇は軍隊区分直接護衛部隊から除かれ軍隊区分伊勢湾部隊配置復旧修理12月下旬から1943年1月上旬までの間に終了1943年1月1日軍隊区分伊勢湾部隊海上部隊直率部隊配置13日鳥羽への回航兼ねて7113B船団(8隻)を護衛して長浦発。14日沖風撃沈された際に東京湾部隊協力して勝浦灯台沖で対潜掃蕩従事15日紀伊水道入口船団から分離して鳥羽回航し、16日鳥羽着。17日軍隊区分熊野灘部隊対潜掃蕩協力するため鳥羽出撃し、掛塚灯台沖から大王埼沖で行動する19日大王埼沖で爆雷戦を2回実施2月2日御前埼灯台沖で陸軍伏見丸が被雷したため担当哨区を徹して御前崎沖-石巻山沖間哨区帯の外側対潜掃蕩従事20日大山沖で被雷航行不能となった特設砲艦吉田丸の救難特設捕獲網艇とともに向かう。21日吉田丸と同艦を曳航する丸、特設敷設艇高千穂丸護衛して名古屋へ向かう。同日吉田丸の曳航浦賀回航中だった山雲加わり、本艇は22日吉田丸の護衛解かれて哨区に移動し対潜掃蕩従事 3月2日御前崎座礁した海軍徴傭船乾祥丸を救難するため現場へ向かうが、乾祥丸は自力離礁成功したため哨区へ復帰する4月6日高千穂丸協同して大山沖の浮流機雷処分従事10日西行7410船団御前崎沖-潮岬沖間で護衛し護衛後鳥羽帰投15日軍隊区分伊勢湾部隊から除かれ軍隊区分三陸部隊配置同日横須賀回航のため鳥羽発。

※この「1942年12月-1943年4月 伊勢湾」の解説は、「第十四号駆潜艇」の解説の一部です。
「1942年12月-1943年4月 伊勢湾」を含む「第十四号駆潜艇」の記事については、「第十四号駆潜艇」の概要を参照ください。

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