1942年12月-1943年4月 伊勢湾
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「第十四号駆潜艇」の記事における「1942年12月-1943年4月 伊勢湾」の解説
1942年12月24日、第五駆潜隊が解隊され、横須賀防備戦隊に編入。本艇は軍隊区分直接護衛部隊から除かれ、軍隊区分伊勢湾部隊に配置。復旧修理は12月下旬から1943年1月上旬までの間に終了。 1943年1月1日、軍隊区分伊勢湾部隊海上部隊直率部隊に配置。13日、鳥羽への回航を兼ねて7113B船団(8隻)を護衛して長浦発。14日、沖風が撃沈された際に東京湾部隊に協力して勝浦灯台沖で対潜掃蕩に従事。15日、紀伊水道入口で船団から分離して鳥羽へ回航し、16日鳥羽着。17日、軍隊区分熊野灘部隊の対潜掃蕩に協力するため鳥羽を出撃し、掛塚灯台沖から大王埼沖で行動する。19日、大王埼沖で爆雷戦を2回実施。 2月2日、御前埼灯台沖で陸軍船伏見丸が被雷したため、担当哨区を徹して御前崎沖-石巻山沖間哨区帯の外側で対潜掃蕩に従事。20日、大山沖で被雷し航行不能となった特設砲艦吉田丸の救難に特設捕獲網艇樫丸とともに向かう。21日、吉田丸と同艦を曳航する樫丸、特設敷設艇高千穂丸を護衛して名古屋へ向かう。同日、吉田丸の曳航に浦賀へ回航中だった山雲が加わり、本艇は22日に吉田丸の護衛を解かれて哨区に移動し、対潜掃蕩に従事 3月2日、御前崎で座礁した海軍徴傭船乾祥丸を救難するため現場へ向かうが、乾祥丸は自力で離礁に成功したため哨区へ復帰する。 4月6日、高千穂丸と協同して大山沖の浮流機雷の処分に従事。10日、西行7410船団を御前崎沖-潮岬沖間で護衛し、護衛後鳥羽に帰投。15日、軍隊区分伊勢湾部隊から除かれ、軍隊区分北三陸部隊に配置。同日、横須賀へ回航のため鳥羽発。
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