1942年7月-11月 アリューシャン列島
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「第十五号駆潜艇」の記事における「1942年7月-11月 アリューシャン列島」の解説
1942年7月20日、「第十三号駆潜艇」、「第十四号駆潜艇」、「第十五号駆潜艇」で第五駆潜隊が編成され、第五艦隊に編入。軍隊区分では北方部隊のAO防備部隊に編入された。第五駆潜隊は7月29日に横須賀を発ち、釧路、占守島を経由して8月11日にキスカ島に着いた。 以後、キスカ島-アッツ島間を移動しつつ警戒に従事。14日、キスカ湾口で警戒中潜水艦に遭遇し、爆雷戦を実施。 8月29日、「第十四号駆潜艇」とともに輸送船「射水丸」を護衛してキスカ出港。翌日アッツ島に到着。9月17日、2隻はアッツ島からキスカ島への陸軍移駐のための輸送を行う「長田丸」、「駒橋」、「陽光丸」、「初霜」を護衛してアッツ出港。翌日キスカ島到着。 9月29日、キスカ湾で警泊中にアメリカ陸軍機の空襲を受け、本艇は機銃掃射により負傷者を出す。 11日、第五駆潜隊は幌筵へ回航のためキスカ島発。15日、幌筵着。以後、本艇は11月13日まで幌筵に所在。 11月13日、北海道東部へ向け幌筵発。15日、択捉島紗万部に寄港。18日、紗万部発。19日、根室沖で行動。横須賀到着後は石川島造船所で入渠修理を実施。
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1942年7月-11月 アリューシャン列島
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「第十四号駆潜艇」の記事における「1942年7月-11月 アリューシャン列島」の解説
1942年7月20日、本艇、第13号駆潜艇、第15号駆潜艇の3隻は第五艦隊隷下に新編された第五駆潜隊に編入。27日、東京湾で行動。29日、キスカ島へ進出のため横須賀発。 8月1日、釧路に寄港。2日、釧路発。5日、占守島に寄港。7日、キスカ島へ向け占守島発。11日、キスカ島着。15日までキスカ湾で警戒に従事。15日、第14号駆潜艇とともにアッツ島へ向けキスカ湾発。16日から27日までアッツ島で警戒に従事し、28日キスカ湾に帰投。以後、キスカ島-アッツ島間を移動しつつ警戒に従事。 10月10日、キスカ湾で警泊中にアメリカ陸軍機の空襲を受け、機銃掃射により香山駆潜艇長らが戦死した。11日、第五駆潜隊は幌筵へ回航のためキスカ島発。15日、幌筵着。23日、本艇は横須賀で修理のため幌筵発。27日、釧路に寄港。30日、長浦着。横須賀海軍工廠で復旧修理を行う。
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1942年7月-11月 アリューシャン列島
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「第十三号駆潜艇」の記事における「1942年7月-11月 アリューシャン列島」の解説
1942年7月20日、本艇、第14号駆潜艇、第15号駆潜艇の3隻は第五艦隊隷下に新編された第五駆潜隊に編入。27日、東京湾で行動。29日、キスカ島へ進出のため横須賀発。 8月1日、釧路に寄港。2日、釧路発。5日、占守島に寄港。7日、キスカ島へ向け占守島発。11日、キスカ島着。15日までキスカ湾で警戒に従事。15日、第14号駆潜艇とともにアッツ島へ向けキスカ湾発。16日から27日までアッツ島で警戒に従事し、28日キスカ湾に帰投。以後、キスカ島-アッツ島間を移動しつつ警戒に従事。 10月9日、キスカで空襲により「第十三号駆潜艇」では艇長重傷などの被害が生じた。10月11日、第五駆潜隊はキスカを離れ、「日帝丸」を護衛して片岡湾へ向かった。15日、幌筵着。以後、本艇は11月13日まで幌筵に所在。 11月13日、北海道東部へ向け幌筵発。15日、択捉島紗万部に寄港。18日、紗万部発。19日、根室沖で行動。
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