1942前半とは? わかりやすく解説

1942前半

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/05 08:51 UTC 版)

サンフランシスコ (重巡洋艦)」の記事における「1942前半」の解説

1942年昭和17年1月8日サンフランシスコ空母エンタープライズ (USS Enterprise, CV-6) 基幹の第8任務部隊ウィリアム・ハルゼー中将)に加わり空母ヨークタウン (USS Yorktown, CV-5) 基幹の第17任務部隊フレッチャー少将とともにトゥトゥイラ島への輸送任務についた1月18日トゥトゥイラ島到着後、サンフランシスコマーシャル諸島およびギルバート諸島日本軍攻撃する第8任務部隊および第17任務部隊別れ輸送船団護衛任務続けた2月8日サンフランシスコトゥトゥイラ島出港し2日後2月10日空母レキシントン (USS Lexington, CV-2) 基幹第11任務部隊ウィルソン・ブラウン中将)に加わり、第6巡洋戦隊合流した第11任務部隊ソロモン諸島東北海域からラバウル攻撃すべく進撃した。しかし、2月20日第11任務部隊ブーゲンビル島近海日本九七式飛行艇発見されラバウル航空隊一式陸上攻撃機17機が飛来してきた。第11任務部隊2度にわたる攻撃受けたが、一式陸攻17機のうち13機を撃墜して2機を大破させ攻撃挫折させた(ニューギニア沖海戦)。しかし、第11任務部隊高速航行続けた結果燃料事情心細くなり、ラバウル空襲断念せざるを得なかった。 その後数日間第11任務部隊南太平洋行動し次いで17任務部隊とともに日本軍痛打浴びせるためニューギニア方面向かった。その途中3月7日サンフランシスコ艦載機1機がなくなっていることが分かり捜索したもののこの時点では発見できなかった。3月9日から10日にかけての夜、第11任務部隊と第17任務部隊パプア湾入った夜明けとともに艦載機発進させ、パプアニューギニアオーエンスタンレー山脈越えてラエサラモア日本軍上陸部隊第六水雷戦隊)に奇襲仕掛けたラエ・サラモアへの空襲)。翌日ミネアポリス (USS Minneapolis, CA-36) が行不明になっていたサンフランシスコ艦載機発見しサンフランシスコのもとに送り届けられた。3月26日サンフランシスコ真珠湾帰投し、約1ヵ月後の4月22日には4093船団護衛してサンフランシスコ向かった5月末に真珠湾戻ったサンフランシスコは第37歩兵師団英語版)を輸送するPW2076船団護衛しスバ経由してオーストラリア到着したサンフランシスコ護衛艦艇はオークランド寄港したハワイ向かい6月29日真珠湾帰投した。しばらくしてサンフランシスコ駆逐艦ラフィー (USS Laffey, DD-459) およびバラード (USS Ballard, DD-267) とともに4120船団護衛してフィジー向かい同地ソロモン諸島進攻する部隊合流した

※この「1942前半」の解説は、「サンフランシスコ (重巡洋艦)」の解説の一部です。
「1942前半」を含む「サンフランシスコ (重巡洋艦)」の記事については、「サンフランシスコ (重巡洋艦)」の概要を参照ください。

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