合同後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 22:54 UTC 版)
1707年にイングランドとスコットランドが合同してグレートブリテン王国が成立するとイングランド準男爵位とノバスコシア準男爵位は創設されなくなり、代わってグレートブリテン準男爵が創設されるようになった。ついで1801年にアイルランドも合同して連合王国が成立するとアイルランド準男爵とグレートブリテン準男爵は創設されなくなり、連合王国準男爵が創設されるようになった。19世紀前半に即位した女王ヴィクトリアは準男爵位に対して労働者層を世襲階級に組み込む有用な手段と見なしていたという。 1898年1月に準男爵名誉協会(Honourable Society of the Baronetage)が設置され、1903年7月に準男爵に関するすべての問題の解決のための常任の組織として準男爵常任会議(英語版)に改組された。1910年2月8日にエドワード7世がロイヤル・ワラント(Royal Warrant)によって内務省に保管される準男爵公式名簿(英語版)を創設し、ここに記録されない者は準男爵として扱われることはないことを宣言した。公式名簿は現在司法省によって管理されている。 準男爵に叙される者ははじめ地主が多かったが、近代以降には対象が拡大されて商業、科学、文学、軍事などにおける功績によっても叙位されるようになった。なかでも、19世紀後半になると商工業界の成功者も貴族に列せられることが増えた。この際に、準男爵位が富裕な醸造家に与えられることがしばしばあったため、準男爵は「ビール醸造者(英語版)(Beerage)」と呼ばれるようになった。この頃になると、準男爵位を含む爵位の猟官が公然と行われるようになった。 20世紀に入り、1958年に一代貴族制度が創設されると準男爵の叙位は減少した。1964年以降は叙任例がなくなっていたが、1991年にデニス・サッチャー(首相マーガレット・サッチャーの夫)が妻を支えた功績から(スコットニーのサッチャー)準男爵位に叙せられた。現在のところ、これが準男爵位の最後の叙任例となっている。
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