白雲【ハクウン】(草花類)
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登録番号 | 第6641号 |
登録年月日 | 1998年 7月 17日 | |
農林水産植物の種類 | きく | |
登録品種の名称及びその読み | 白雲 よみ:ハクウン |
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品種登録の有効期限 | 15 年 | |
育成者権の消滅日 | 1998年 8月 17日 | |
品種登録者の名称 | 株式会社関西テック | |
品種登録者の住所 | 大阪府大阪市北区中之島6丁目2番27号 | |
登録品種の育成をした者の氏名 | 奥田光博 大東秀章 | |
登録品種の植物体の特性の概要 | ||
この品種は,「秀芳の力」に「松本の朝」を交配して育成されたものであり,花は黄白色の大輪で,一輪仕立ての切り花向き品種である。 草型は直立性,草性は高性,開花時の草丈は高である。茎の太さは6.0~7.9㎜,色は淡緑,強さは強,縦じわは中,稲妻型屈曲は無,節間長は10~19㎜である。葉身長及び葉幅は50~74㎜,基部の形は凸形,先端部分の形は尖,一次欠刻は0.30~0.69,二次欠刻の程度は中,欠刻底部の形は丸,葉裂片縁部の重なりは平行する,表面及び裏面の色は緑,光沢度及び厚さは中,たく葉の有無は全体的にある,分布状態は主に両側,形は深裂しない,大きさは小である。つぼみの形は平,花の大きさは150~199㎜,舌状花の重ねは5列以上で露芯しない,舌状花数は100~199である。管状花数は10~49,分布は散在,全長は10.0㎜以上である。花弁の形は舟底弁,先端の形は尖る,外花弁及び内花弁の反り方は内曲,花弁の長さは70~89㎜,幅は10.0~14.9㎜,外花弁の表面及び裏面の色は黄白(JHS カラーチャート2701),外花弁の角度は平,花の中心部の色は外弁と異なり淡黄色である。花たくの形は平らなドーム状,総ほうの大きさは40~49㎜,総ほう部から花頂部までの高さ及び花首の長さは60~79㎜,季咲きの開花期は秋で,育成地(兵庫県宍粟郡山崎町)における自然開花期は10月中下旬である。 「岩の雪山」と比較して,葉の基部の形が凸形であること,葉裂片縁部が平行すること,花の中心部の色が外弁と異なり淡黄色であること,花たくが大きいこと等で区別性が認められる。 | ||
登録品種の育成の経過の概要 | ||
この品種は,平成3年に出願者の温室(兵庫県宍粟郡山崎町)において,「秀芳の力」に「松本の朝」を交配して得られた実生の中から選抜,以後,増殖を行いながら特性の調査を継続し,6年にその特性が安定していることを確認して育成を完了したものである。 なお,出願時の名称は「白嶺」であった。 |
白雲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/26 18:35 UTC 版)
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白雲(はくうん、明和元年(1764年) - 文政8年(1825年)[1])は、江戸時代の画僧(浄土宗)。松平定信に仕え『集古十種』の編纂事業に加わった。 法諱は逸誉、のちに良善教順と称した。白雲は画号、別号に閑松堂・松堂・墨癡・蝸牛叟・無心・竹堂など。
略歴
白雲は京都東山の位の高い人物の子とされる[2]。若いうちに浄土宗十念寺(須賀川)で得度。寛政元年(1789年)、26歳にして同寺第19代住職となる。その後、白河藩主松平定信に画才を認められ閑松堂の堂号[3]を賜る。以降、谷文晁・亜欧堂田善・巨野泉祐らとともに『集古十種』の編纂事業に加わる。寛政10年(1798年)には白河城内の東林寺に移る。定信の公の相談役になったことも多かったという。秋田藩主佐竹義和とも近しい関係[4]にあった。 享和2年(1802年)に常宣寺 (白河)第22世住持になり、その後文化3年(1806年)に常念寺(下野黒羽)に住した。定信の隠居後、文化10年(1813年)、50歳にて本覚寺(秋田六郷)の第28代住職となっている。
『集古十種』編纂のため、幾度も諸国を遊歴。寛政11年(1799年)および翌12年(1800年)には巨野泉祐とともに山城・大和・摂津・山陽道に赴き美術品・文化財の調査を行っている[5]。『集古十種』古画肖像に掲載される藤原定家像は白雲の模写である。
谷文晁の山水図から多くを学び、真景図に優れた作品を残した。文晁の『名山図譜』に挿図を提供している。皆川淇園・岸駒・村瀬栲亭・維明周奎・田中訥言・吉村孝敬・呉春・円山応瑞・原在中などと交友した。
死期を悟ると弟子の安田田騏を呼び寄せ肖像画を画かせている[6]。この肖像画は本覚寺と十念寺に伝わり墓もこの二つの寺にある。。世寿62。
作品
- 「磐城紀行図巻」神戸市立博物館
- 「会津津川冬景図巻」
- 「河内紀行図」
- 「西国名所紀行図」
- 「天然自賞」1797年
- 「真景帖および彩絵方」本覚寺 秋田県指定文化財
- 「凌煙閣功臣画像」 杉戸絵8枚12面 西光寺(岩瀬郡鏡石町)に4枚8面 鏡石町公民館に4枚4面 共に福島県指定文化財
- 「西西遊行画帖」個人蔵
- 「藤原定家像」個人蔵
- 「鉄拐仙人図」
- 「嶮崖幽居図」十念寺
- 「夏木重陰図」藤田記念館
- 「富嶽図」藤田記念館
- 「富嶽山頂図」神戸市立博物館 1808年
脚註
- ^ 内山、平成2年
- ^ 奈良(1964年)
- ^ 本覚寺にこの額字が伝わっている。以降に白雲と号した。
- ^ 菅江真澄「月出羽路」によると文化元年に佐竹義和と会っている。また義和の「あつまの記」白河の条でも文化3年に面談している。
- ^ 小林(2000年)
- ^ 奈良 (1964年)
参考文献
- 川延安直「定信と文晁 松平定信と周辺の画人たち」福島県立博物館 1992年
- 小林めぐみ「集古十種の編纂 - その目的と情報収集」図録『あるく・うつす・あつめる 松平定信の古文化財調査 集古十種』福島県立博物館 2000年
- 江戸文化シリーズ20「歸空庵コレクション 日本洋風画史展図録」板橋区立美術館 2004年
- 西村貞「画僧白雲とその写生図巻について」『日本書紀洋画の研究』
- 田口松圃「画僧閑松堂白雲」『塔影』昭和7年9月号
- 平福百穂「画僧白雲」『中央美術』第3巻7号 大正6年
- 奈良環之助 「画僧白雲 」『秋田画人伝』昭和39年
- 太田和夫「画僧白雲の作品について」『秋田県立博物館研究報告』
- 内山淳一「白雲の研究ー未紹介の真景帖を中心にー」『仙台市博物館調査研究報告10号』平成2年
白雲(しらくも)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/11 16:02 UTC 版)
虎の顔を持つ化け蜘蛛の式神。数多くの子供達と共に出没した。一応人の言葉を喋る。
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