洋風画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/05/27 09:05 UTC 版)
洋風画(ようふうが)は、日本にまだ油彩画の道具が輸入されていなかった頃に、宣教師から学んだり、西洋画を見よう見真似で描いた絵。線描、陰影法、遠近法などのテクニックが洋画風で、絵具は日本画のものを使っている[1]。
- ^ 秋田の画人 1964, p. 173.
- ^ a b c 秋田の画人 1964, p. 174.
- ^ “南蛮美術と長崎の南蛮絵師”. UAG美術家研究所. 2021年8月11日閲覧。
- ^ “長崎洋風画の先駆者・若杉五十八と荒木如元”. UAG美術家研究所. 2021年8月13日閲覧。
- ^ “小田野直武のよき理解者だった角館城代の佐竹義躬”. UAG美術家研究所. 2021年8月13日閲覧。
- ^ 秋田の画人 1964, pp. 174–175.
洋風画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 14:38 UTC 版)
作品名技法形状・員数寸法(縦x横cm)所有者年代落款備考矢部富士図 個人 1788年(天明8年) 賛「昔雪舟遊于支那而所畫富嶽景、何乎望無知者、余登於駿陽矢部補陀洛山上始観之」。文から久能寺(現在の鉄舟寺)観音堂から実見した風景に基づく事がわかるが、画面構成は伝雪舟筆の『富士三保清見寺図』に倣っている。 寒柳水禽図 絹本油彩 1幅 パワーズコレクション旧蔵 1790年頃(寛政初期) 異国風景人物図 絹本油彩 双幅 各114.9×55.6 神戸市立博物館 女図に款記「江漢司馬峻寫」と「Sibasun.」朱字サイン男図に款記「江漢司馬峻寫」と蘭語「Eerste Zonders in Japan Ko : 」(「日本における最初のユニークな人物」の意) 異国工場図 絹本著色 1幅 64.0×128.6 神戸市立博物館 相州鎌倉七里浜図 紙本油彩 二曲一隻 95.7×178.4 神戸市立博物館 寛政8年(1796年) 款記「西洋畫士 東都 江漢司馬峻 描寫 S:a.Kookan Ao:18. / 寛政丙辰夏六月二十四日」 重要文化財。大田南畝・中井董堂賛 駿河湾富士遠望図 絹本油彩 36.2×100.9 静岡県立美術館 寛政8年(1796年) 江之島児淵眺望・金沢能見堂眺望図衝立 絹本著色 衝立表裏2面 各109.3x78.8 仙台市博物館 寛政年間 款記:前者に「江之嶋児渕眺望」後者に「金澤能見堂眺望」、それぞれに「江漢司馬峻寫」落款、「Si Kookan」朱字サイン 富岳遠望之図 1面 40.0x87.9 京都国立博物館 寛政年間末頃か 款記「東都江漢司馬峻描寫」、「Si:Kookan」朱字サイン 駿州薩陀山富士遠望図 絹本油彩 額装 78.5×146.5 静岡県立美術館 文化元年(1804年) 江之島富士遠望図 絹本淡彩 1幅 31.3x83.5 鎌倉国宝館 文化4年(1807年) 款記「六十一翁江漢司馬峻寫」/「司馬」白文方印・「峻」朱文方印 和田義卿像 絹本著色 1幅 93.8x31.9 個人 文化9年(1812年)賛 款記「江漢司馬峻寫」/「司馬」白文方印・「峻」白文方印 自賛。和田義卿は備中中津の医者。 馬入川の富士図 絹本油彩 額装1面 27.0x56.0 摘水軒記念文化振興財団 款記「江漢司馬峻」、「Si:Kookan」朱字サイン
※この「洋風画」の解説は、「司馬江漢」の解説の一部です。
「洋風画」を含む「司馬江漢」の記事については、「司馬江漢」の概要を参照ください。
- 洋風画のページへのリンク