洋風画とは? わかりやすく解説

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ようふう‐が〔ヤウフウグワ〕【洋風画】

読み方:ようふうが

桃山時代江戸時代西洋画影響受けて描かれ絵画


洋風画

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/05/27 09:05 UTC 版)

洋風画(ようふうが)は、日本にまだ油彩画の道具が輸入されていなかった頃に、宣教師から学んだり、西洋画を見よう見真似で描いた絵。線描陰影法遠近法などのテクニックが洋画風で、絵具は日本画のものを使っている[1]

概要

日本における洋風画の第一期は南蛮(スペイン、ポルトガル)系の宗教画で、天文12年(1543年)にポルトガル人の種子島漂着をきっかけに、ザビエルらキリスト教宣教師が来日するようになり、天正8年(1580年)に、安土(現滋賀県近江八幡市安土町)と有馬(現長崎県南島原市)にセミナリヨ、臼杵(現大分県臼杵市)にノビシャド、天正9年(1581年)に府内(現大分県大分市)にコレジオなど布教活動のための教育機関が建てられ、そこで洋画が教えられた[2]。この頃の作家では、信方山田右衛門作、生島三郎左衛門などがいる[3]

第二期は長崎派(長崎蘭画)で、当時の日本は鎖国時代だが長崎は幕府直轄地として、幕府の管理で貿易(長崎貿易)が行われていたので、オランダの本がたくさん入ってきた。その本の挿絵銅版画がヒントとなり、長崎では洋風画が盛んになった[2]寛文1661年)頃の喜多元規明和1764年)以降の若杉五十八荒木如元平賀源内などの作家が出た[4][2]

第三期は秋田蘭画で、安永2年(1773年出羽国久保田藩8代目藩主佐竹曙山に藩財政建て直しのため、院内阿仁の鉱山の技術指導に平賀源内を招聘したことに始まる。源内は角館(現:秋田県仙北市角館町)を訪れた時、小田野直武に西洋絵画の技法教え、江戸留学後帰藩した直武が洋画指導者として藩主佐竹曙山や角館城代佐竹義躬に手ほどきをした[5][6]

「婦女弾琴図」(伝信方)
大和文華館所蔵
「天草四郎陣中旗」(伝山田右衛門作)
天草切支丹館所蔵、国の重要文化財
「東叡山不忍池」(小田野直武)
秋田県立近代美術館所蔵

脚注

出典

  1. ^ 秋田の画人 1964, p. 173.
  2. ^ a b c 秋田の画人 1964, p. 174.
  3. ^ 南蛮美術と長崎の南蛮絵師”. UAG美術家研究所. 2021年8月11日閲覧。
  4. ^ 長崎洋風画の先駆者・若杉五十八と荒木如元”. UAG美術家研究所. 2021年8月13日閲覧。
  5. ^ 小田野直武のよき理解者だった角館城代の佐竹義躬”. UAG美術家研究所. 2021年8月13日閲覧。
  6. ^ 秋田の画人 1964, pp. 174–175.

参考文献


洋風画

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 14:38 UTC 版)

司馬江漢」の記事における「洋風画」の解説

作品名技法形状員数寸法(縦x横cm所有者年代落款備考矢部富士個人 1788年天明8年) 賛「昔雪舟遊于支那而所畫富嶽景、何乎望無知者、余登於駿陽矢部補陀洛山上始観之」。文から久能寺現在の鉄舟寺観音堂から実見した風景に基づく事がわかるが、画面構成は伝雪舟筆の『富士三保清見寺図』に倣っている。 寒水禽絹本油彩 1幅 パワーズコレクション旧蔵 1790年頃(寛政初期異国風景人物絹本油彩 双幅 各114.9×55.6 神戸市立博物館 女図に款記江漢司馬峻寫」と「Sibasun.」朱字サイン男図に款記江漢司馬峻寫」と蘭語「Eerste Zonders in Japan Ko : 」(「日本における最初ユニークな人物」の意) 異国工場絹本著色 1幅 64.0×128.6 神戸市立博物館 相州鎌倉七里浜図 紙本油彩 二曲一隻 95.7×178.4 神戸市立博物館 寛政8年1796年款記西洋畫東都 江漢司馬描寫 S:a.Kookan Ao:18. / 寛政丙辰六月二十四日重要文化財大田南畝中井董堂賛 駿河湾富士遠望絹本油彩 36.2×100.9 静岡県立美術館 寛政8年1796年江之島児淵眺望金沢能見堂眺望衝立 絹本著色 衝立表裏2面 各109.3x78.8 仙台市博物館 寛政年間 款記前者に「江之嶋児渕眺望後者に「金澤能見堂眺望」、それぞれに江漢司馬峻寫」落款、「Si Kookan」朱字サイン 富岳遠望之図 1面 40.0x87.9 京都国立博物館 寛政年間末頃か 款記東都江漢司馬描寫」、「Si:Kookan」朱字サイン 駿州薩陀山富士遠望絹本油彩 額装 78.5×146.5 静岡県立美術館 文化元年1804年江之島富士遠望絹本淡彩 1幅 31.3x83.5 鎌倉国宝館 文化4年1807年款記六十一翁江漢司馬峻寫」/「司馬白文方印・「峻」朱文方印 和田義卿像 絹本著色 1幅 93.8x31.9 個人 文化9年1812年)賛 款記江漢司馬峻寫」/「司馬白文方印・「峻」白文方印 自賛和田義卿は備中中津医者馬入川富士絹本油彩 額1面 27.0x56.0 摘水軒記念文化振興財団 款記江漢司馬峻」、「Si:Kookan」朱字サイン

※この「洋風画」の解説は、「司馬江漢」の解説の一部です。
「洋風画」を含む「司馬江漢」の記事については、「司馬江漢」の概要を参照ください。

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