洋風画
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洋風画(ようふうが)は、日本にまだ油彩画の道具が輸入されていなかった頃に、宣教師から学んだり、西洋画を見よう見真似で描いた絵。線描、陰影法、遠近法などのテクニックが洋画風で、絵具は日本画のものを使っている[1]。
概要
日本における洋風画の第一期は南蛮(スペイン、ポルトガル)系の宗教画で、天文12年(1543年)にポルトガル人の種子島漂着をきっかけに、ザビエルらキリスト教宣教師が来日するようになり、天正8年(1580年)に、安土(現滋賀県近江八幡市安土町)と有馬(現長崎県南島原市)にセミナリヨ、臼杵(現大分県臼杵市)にノビシャド、天正9年(1581年)に府内(現大分県大分市)にコレジオなど布教活動のための教育機関が建てられ、そこで洋画が教えられた[2]。この頃の作家では、信方、山田右衛門作、生島三郎左衛門などがいる[3]。
第二期は長崎派(長崎蘭画)で、当時の日本は鎖国時代だが長崎は幕府直轄地として、幕府の管理で貿易(長崎貿易)が行われていたので、オランダの本がたくさん入ってきた。その本の挿絵銅版画がヒントとなり、長崎では洋風画が盛んになった[2]。寛文(1661年)頃の喜多元規、明和(1764年)以降の若杉五十八、荒木如元、平賀源内などの作家が出た[4][2]。
第三期は秋田蘭画で、安永2年(1773年)出羽国久保田藩8代目藩主佐竹曙山に藩財政建て直しのため、院内や阿仁の鉱山の技術指導に平賀源内を招聘したことに始まる。源内は角館(現:秋田県仙北市角館町)を訪れた時、小田野直武に西洋絵画の技法教え、江戸留学後帰藩した直武が洋画指導者として藩主佐竹曙山や角館城代佐竹義躬に手ほどきをした[5][6]。
脚注
出典
- ^ 秋田の画人 1964, p. 173.
- ^ a b c 秋田の画人 1964, p. 174.
- ^ “南蛮美術と長崎の南蛮絵師”. UAG美術家研究所. 2021年8月11日閲覧。
- ^ “長崎洋風画の先駆者・若杉五十八と荒木如元”. UAG美術家研究所. 2021年8月13日閲覧。
- ^ “小田野直武のよき理解者だった角館城代の佐竹義躬”. UAG美術家研究所. 2021年8月13日閲覧。
- ^ 秋田の画人 1964, pp. 174–175.
参考文献
- 秋田魁新報社文化部『秋田の画人』秋田魁新報社、1964年4月15日。doi:10.11501/2503810。全国書誌番号:64009842。
洋風画
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作品名技法形状・員数寸法(縦x横cm)所有者年代落款備考矢部富士図 個人 1788年(天明8年) 賛「昔雪舟遊于支那而所畫富嶽景、何乎望無知者、余登於駿陽矢部補陀洛山上始観之」。文から久能寺(現在の鉄舟寺)観音堂から実見した風景に基づく事がわかるが、画面構成は伝雪舟筆の『富士三保清見寺図』に倣っている。 寒柳水禽図 絹本油彩 1幅 パワーズコレクション旧蔵 1790年頃(寛政初期) 異国風景人物図 絹本油彩 双幅 各114.9×55.6 神戸市立博物館 女図に款記「江漢司馬峻寫」と「Sibasun.」朱字サイン男図に款記「江漢司馬峻寫」と蘭語「Eerste Zonders in Japan Ko : 」(「日本における最初のユニークな人物」の意) 異国工場図 絹本著色 1幅 64.0×128.6 神戸市立博物館 相州鎌倉七里浜図 紙本油彩 二曲一隻 95.7×178.4 神戸市立博物館 寛政8年(1796年) 款記「西洋畫士 東都 江漢司馬峻 描寫 S:a.Kookan Ao:18. / 寛政丙辰夏六月二十四日」 重要文化財。大田南畝・中井董堂賛 駿河湾富士遠望図 絹本油彩 36.2×100.9 静岡県立美術館 寛政8年(1796年) 江之島児淵眺望・金沢能見堂眺望図衝立 絹本著色 衝立表裏2面 各109.3x78.8 仙台市博物館 寛政年間 款記:前者に「江之嶋児渕眺望」後者に「金澤能見堂眺望」、それぞれに「江漢司馬峻寫」落款、「Si Kookan」朱字サイン 富岳遠望之図 1面 40.0x87.9 京都国立博物館 寛政年間末頃か 款記「東都江漢司馬峻描寫」、「Si:Kookan」朱字サイン 駿州薩陀山富士遠望図 絹本油彩 額装 78.5×146.5 静岡県立美術館 文化元年(1804年) 江之島富士遠望図 絹本淡彩 1幅 31.3x83.5 鎌倉国宝館 文化4年(1807年) 款記「六十一翁江漢司馬峻寫」/「司馬」白文方印・「峻」朱文方印 和田義卿像 絹本著色 1幅 93.8x31.9 個人 文化9年(1812年)賛 款記「江漢司馬峻寫」/「司馬」白文方印・「峻」白文方印 自賛。和田義卿は備中中津の医者。 馬入川の富士図 絹本油彩 額装1面 27.0x56.0 摘水軒記念文化振興財団 款記「江漢司馬峻」、「Si:Kookan」朱字サイン
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