洋風住宅としての文化住宅
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 23:15 UTC 版)
「文化住宅」の記事における「洋風住宅としての文化住宅」の解説
明治時代に西洋館が建てられるようになるが、もっぱら財閥や政治家の一部の住宅であり、一般には和風の住まいに暮らすのが当たり前であった。大正デモクラシーの自由な雰囲気の中に大衆文化が成立し、住宅においても洋風の生活に対する憧れが広まっていった。 1922年(大正11年)、上野で平和記念東京博覧会が開かれ、展示企画として「文化村」が造られた。14棟の「文化住宅」が建てられ、モダンで合理的な住まいのあり方を示す一種のモデルルームであった。文化住宅という語は1921年(大正10年)ごろから一部の雑誌で使われていたが、この博覧会をきっかけに一般に広くアピールしたと考えられる。 昭和時代に入って「文化住宅」という名称で一定のパターンができあがった。住宅本体はこれまで同様の和風住宅であるが、玄関脇に洋風デザインの応接間が造られる、といったものである。阪神間や東京近郊地帯(世田谷、杉並など)の宅地開発とともに数多くの文化住宅が造られた。 愛知万博で人気を得た「サツキとメイの家」(となりのトトロ)も文化住宅風である。
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