皆川淇園とは? わかりやすく解説

みながわ‐きえん〔みながはキヱン〕【皆川淇園】

読み方:みながわきえん

[1735〜1807]江戸中期儒学者京都の人。名は愿(げん)。字(あざな)は伯恭漢字字義易学研究し、開物学を提唱また、漢詩文書画よくした晩年私塾弘道館おこした。著「名疇」「易学開物」「易原」など。


皆川淇園

読み方みながわ きえん

江戸後期儒者京都生。父春洞は一説東福門院御典医と言われる。名は愿、字は伯恭別号に筇斎・有斐斎等。開物学と称する独自の説を樹立し私塾弘道館開き多く門人擁す。画は初め望月玉蟾学び、のち円山応挙呉春岸駒長沢蘆雪らと交わる。文化4年(1807)歿、74才。

皆川淇園

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/16 10:23 UTC 版)

皆川淇園肖像 『近世名家肖像』

皆川 淇園(みながわ きえん、享保19年12月8日1735年1月1日〉 - 文化4年5月16日1807年6月21日〉)は、江戸時代中期の儒学者。父は皆川成慶(春洞、白洲)で、実弟に国学者富士谷成章(層城、北辺)、甥に国学者富士谷御杖がいる[1]。淇園は号で、名は愿(げん)、字は伯恭(はくきょう)、通称は文蔵(ぶんぞう)、別号に有斐斎(ゆうひさい)がある[2]。生まれは京都

生涯

皆川淇園書

皆川春洞の第二子、長男として京都正親町坊(中立売室町西)に生まれる。9人兄弟であった。4、5歳頃には杜甫の詩を覚えていたといわれる[3]

伊藤錦里や三宅元献などに儒学を学んだ。易学について研究を深め、独自の言語論により「」と「物」との関係を解釈する開物論を唱え、「老子」「荘子」「列子」「論語」など多くの経書に対する注釈書を著した。亀山藩松平信岑)・平戸藩松浦清)・膳所藩本多康完)などの藩主に賓師として招かれた。

宝暦9年(1759年)より京都・中立売室町西にて門人を受け入れ始めた[4][5]。また、江村綬の錫杖堂詩社に影響され、柴野栗山赤松滄洲らと三白社という詩社を起こす。

絵画の腕も卓越しており、山水画では、師の円山応挙に劣らずという評価も受けている。

晩年の文化2年(1805年)には様々な藩主の援助を受けて京都に学問所「弘道館」を開いた。 志半ばにして、翌年、74歳で没する。

門人は3,000人に及んだといわれる。門弟として富士谷成章(実弟)・巖垣龍渓・稲毛屋山・小浜清渚・東条一堂北条霞亭・田中履堂などがいる。

京極阿弥陀寺に葬られた[6]。墓誌は松浦清が文を製し、その書は本多康完が記した。東京国立博物館には「明経先生像」と題された淇園の遺像が残る(渡辺南岳筆、東京国立博物館 情報アーカイブ)。

大正4年(1915年)、従四位を追贈された[7]

主な著書

脚注

  1. ^ a b c d e f g 『京都大事典』(皆川淇園)淡交社、1984年、p.879
  2. ^ a b c 日本大百科全書(皆川淇園)
  3. ^ 『皆川淇園・大田錦城』〈叢書・日本の思想家26〉明徳出版社、1986年、p.22
  4. ^ 『皆川淇園・大田錦城』〈叢書・日本の思想家26〉明徳出版社、1986年、p.31
  5. ^ 門人帳によれば、最も早い門人は宝暦8年1758年の本城宗兵衛。
  6. ^ a b 国史大辞典(皆川淇園)
  7. ^ 田尻佐 編『贈位諸賢伝 増補版 上』(近藤出版社、1975年)特旨贈位年表 p.35
  8. ^ 日本国語大辞典(皆川淇園)
  9. ^ 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 『日本名家四書註釈全書』 論語部3. 2025年1月20日閲覧。

参考文献

  • 鴻儒皆川淇園(淇園会編、明治41年12月20日、淇園会刊、第4章に高瀬武次郎「淇園先生の開物学」を掲載、第7章「皆川淇園」は天囚西村時彦の大阪朝日新聞連載記事(一)~(十七)を収録)
  • 近世後期儒家集(日本思想大系岩波書店

外部リンク

  • 春秋左氏伝』 - 京都大学貴重資料デジタルアーカイブ、2020年4月28日閲覧。皆川漢園の自筆書き入れ本。



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