柴野栗山とは? わかりやすく解説

しばの‐りつざん【柴野栗山】

読み方:しばのりつざん

[1736〜1807]江戸中期儒学者讃岐(さぬき)の人。名は邦彦後藤芝山(ごとうしざん)に学び江戸出て昌平坂学問所教官となった。のち、老中松平定信寛政異学の禁建議した寛政の三助一人。著「栗山文集」「雑字類編」など。


しばのりつざん 【柴野栗山】


柴野栗山

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/10 06:07 UTC 版)

柴野 栗山
『近世名家肖像』より
生誕 元文元年(1736年
死没 文化4年12月1日1807年12月29日
時代 江戸時代
地域 日本
学派 朱子学
研究分野 朱子学
主な概念 寛政異学の禁を指導した
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柴野 栗山(しばの りつざん、元文元年(1736年) - 文化4年12月1日1807年12月29日))は、江戸時代儒学者文人である。は邦彦、は彦輔である。讃岐国(現:香川県)で生まれた。寛政の三博士の一人として知られる。

生涯

元文元年(1736年)に讃岐国三木郡牟礼村(現:香川県高松市牟礼町牟礼)で誕生する。父は柴野軌逵、母は柴野於澤である。寛延元年(1748年)に高松藩儒学者後藤芝山の元へ通い、儒学を習った。宝暦3年(1753年)に中村文輔と共に、江戸に赴き湯島聖堂で学問を学んだ。

湯島聖堂の学習を終えた柴野は、明和2年(1765年)に高橋図南から国学を中心に学問を学び、明和4年(1767年)に徳島藩に儒学者として仕えるようになった。明和5年(1768年)には徳島藩主・蜂須賀重喜と共に江戸に再度赴くこととなる。

江戸に着いた後、安永5年(1776年)に徳島藩当主侍読に就任する。天明7年(1787年)には、江戸幕府老中松平定信から呼び出され、幕府に仕えるように勧められた。以後幕府に仕え、寛政の改革に伴う寛政異学の禁を指導するなどの評価が高まり、寛政2年(1790年)に湯島聖堂の最高責任者となった[1][2]

文化元年(1804年)に白内障から回復したことに対して、蘇軾が王彦若に贈った詩を書いて三井惟親(三井光慶)に贈った。

文化4年(1807年)には、「玄武洞」を命名している。同年、12月1日に死去した。墓所は文京区大塚先儒墓所

明治44年(1911年)、従四位を追贈された[3]

著作

  • 『詩集日本漢詩 第7巻 栗山堂詩集』4巻 汲古書院、1987年
  • 『註釈増補栗山文集』阿河準三編. 栗山顕彰会、1987年
  • 『柴野栗山の手紙』井下香泉 解訳編. 讃岐先賢顕彰会、2004年

関連書籍

  • 『栗山文集(抄)を読む 柴野栗山と野口家の今昔』井下香泉 高松大学出版会、2002年
  • 『栗山先生の面影』谷本富三上参次 六盟館、1907年
  • 『家庭に寄せし柴野栗山の書簡』川口刀水、長尾藻城編 聚精堂、1910年
  • 『寛政三博士の学勲』[1]内田周平 谷門精舎有成館、1931年
  • 『柴野栗山』福家惣衛 栗山顕彰会ほか、1949年
  • 『柴野栗山と寛政「異学の禁(異常な学問の禁止令)」』 柴野栗山先生二百年祭記念 井下香泉 柴野栗山顕彰会、2005年
  • 『柴野栗山二百年祭記念誌』二百年祭実行委員会、2007年
  • 『父たちとの語らい』久保正彰 栗山顕彰会、2010年

栗山をモデルとした創作

  • てつきのこ『マンガ柴野栗山 一歩、そしてまた一歩』牟礼町教育委員会(1991年)

脚注

  1. ^ 寛政三博士の学勲
  2. ^ 安井小太郎『日本儒学史』,富山房,1939、P255
  3. ^ 田尻佐 編『贈位諸賢伝 増補版 上』(近藤出版社、1975年)特旨贈位年表 p.27

関連項目

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