蜂須賀重喜
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/22 01:54 UTC 版)
蜂須賀 重喜(はちすか しげよし)は、阿波国徳島藩の第10代藩主。号は公熙、南山、清風齋[1]。
- ^ 阿波名家墓所記。
- ^ 宝暦期の嘉島家当主で、通称に「出雲」を使う
- ^ a b 阿淡夢物語 国文学研究資料館
- ^ a b 中嶋・64頁
- ^ 『阿淡夢物語』[3]では、義道は四男である義居をどこかへ養子に入れようと画策しており、賀島出雲を懐柔して義居が藩主になるよう根回しした結果、徳島藩へ養子縁組が決定したとされる。しかし『阿淡夢物語』のこの記述は潤色であり、事実ではない[4]。
- ^ 「大谷公」の別称あり。
- ^ 中嶋・65頁
- ^ :『阿淡夢物語』[3]では、女漁りを行い淫行に耽溺し、家臣たちにも淫行を促したと書かれている[4]。重喜は小さな藩の生まれである劣等感があったとされ、それゆえ功を焦って性急な改革を行ったといわれる[7]。
- ^ 塙保己一史料館(温故学会) 「塙保己一エピソードその8.保己一の蔵書」
- ^ 徳島県立図書館|阿波国文庫 10代蜂須賀重喜(1738年 - 1807年)から13代蜂須賀斉裕(1821年 - 1868年)に至る間に、特に多数の書籍が増加したと推定される。
- ^ 宝暦3年(1753年)
- ^ 著作権切れ 『1』:新字新仮名 - 青空文庫、『2』:新字新仮名 - 青空文庫、『3』:新字新仮名 - 青空文庫、『4』:新字新仮名 - 青空文庫、『5』:新字新仮名 - 青空文庫、『6』:新字新仮名 - 青空文庫
- ^ 『鳴門秘帖』
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「蜂須賀重喜」の続きの解説一覧
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- 2 蜂須賀重喜の概要
- 3 系譜
- 4 脚注
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