醍醐輝久とは? わかりやすく解説

醍醐輝久

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/01 07:29 UTC 版)

 
醍醐輝久
時代 江戸時代中期-後期
生誕 宝暦10年6月13日1760年7月25日
死没 享和元年7月25日1801年9月2日
官位 正二位権大納言
主君 後桃園天皇光格天皇
氏族 醍醐家
父母 父:醍醐経胤、母:お升(宗義誠の娘)
養父:醍醐冬香
兄弟 冬香輝久
蜂須賀幸子蜂須賀重喜の娘)(一条輝良の養女)
輝弘、隆生、信子
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醍醐 輝久(だいご てるひさ)は、江戸時代中期から後期の公卿、廷臣。

概要

後桃園天皇(118代)・光格天皇(119代)の二帝にわたって仕え、官位は正二位権大納言まで昇った。

生涯

父・経胤の死後、醍醐家当主となった義兄の兼純(経胤の養子)、実兄の冬香(兼純の養嗣子)がいずれも早世し、安永元年(1772年)冬香の死に伴い家督を継ぎ、同年叙爵。以降清華家当主として速いスピードで昇進し、侍従右近衛権少将左近衛権中将をへて、安永5年(1776年)に従三位に達して公卿に列する。その後、踏歌節会外弁・権中納言を経て、寛政元年(1789年)に権大納言となり、享和元年(1801年)に職を辞した。同年中に薨去。享年42。

家族・親族

系譜

醍醐家

醍醐家は、一条昭良の子である醍醐冬基を始祖とし、清華家の一つであった。

皇室との関係

後陽成天皇男系五世子孫(来孫)である。後陽成天皇の第九皇子で一条家を継いだ一条昭良の男系後裔。
詳細は皇別摂家#系図も参照のこと。

脚注

  1. ^ 官位は従一位右大臣

関連項目





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