一条系
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/12 08:00 UTC 版)
昭良-教輔-兼輝と継承された後、兼香(鷹司房輔の子)が養子に入って継ぎ、昭良の男系はいったん途切れた。 ただし、昭良の子(冬基)が醍醐家を興して清華家に列せられ、冬基-冬熙-経胤-輝久-輝弘-忠順-忠敬-忠重と継承し、男系子孫が現存する。忠重は明治に海軍軍人となり、潜水艦の専門家として名を馳せて海軍中将まで昇進した。 また、醍醐忠順の三男が一条家を継ぎ(一条忠貞)、それが実家に戻った後には醍醐輝久-四条隆生-四条隆謌-一条実輝と四条家を介した養子相続で血統を伝えた実輝が入ったが、大炊御門師前の長男(一条実孝)が継いで再び「皇別摂家」から離れた。
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