後藤芝山とは? わかりやすく解説

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ごとう‐しざん【後藤芝山】

読み方:ごとうしざん

[1721〜1782]江戸中期儒学者讃岐(さぬき)の人。名は世鈞。高松藩主の侍講となり、藩校講道館設立四書五経施した訓点は、後藤点として知られる。著「元明史略」など。


後藤芝山

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/20 00:06 UTC 版)

後藤 芝山(ごとう しざん、享保6年11月4日1721年12月22日)- 天明2年4月3日1782年5月14日[1])は、江戸時代中期の儒学者である。名は世鈞。字は守中。通称は弥兵衛。別号に竹風。

経歴

讃岐高松藩の生まれ[1]。父は高松藩に仕えていたが、財政難により領内の芝山の麓に移住した[1]。この帰農の時期に芝山は育てられた[1]儒学を志し、守屋義門及び菊池黄山の弟子となった[要出典]。19歳の時に江戸に遊学し[1]林榴岡の弟子となり[1]昌平黌で学ぶ[1]。33歳の時に帰国し[1]、高松藩主松平頼恭の侍読となる[1]安永9年(1780年松平頼真によって藩校講道館が設立され[1]、初代総裁に就任した[1]。芝山が創始した四書五経の訓点は後藤点と呼ばれ[1]、広く世間に知れ渡った。門人には柴野栗山らがいた[1]

著書に『元明史略』(宝暦元年刊行)『宮詞一百首』(安永6年)『職原鈔考証』(安永6年成立)がある[1]

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n 日本古典文学大辞典編集委員会『日本古典文学大辞典第2巻』岩波書店、1984年1月、638-639頁。 

出典




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