ごとう‐しざん【後藤芝山】
後藤芝山
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後藤 芝山(ごとう しざん、享保6年11月4日(1721年12月22日)- 天明2年4月3日(1782年5月14日)[1])は、江戸時代中期の儒学者である。名は世鈞。字は守中。通称は弥兵衛。別号に竹風。
経歴
讃岐高松藩の生まれ[1]。父は高松藩に仕えていたが、財政難により領内の芝山の麓に移住した[1]。この帰農の時期に芝山は育てられた[1]。儒学を志し、守屋義門及び菊池黄山の弟子となった[要出典]。19歳の時に江戸に遊学し[1]、林榴岡の弟子となり[1]、昌平黌で学ぶ[1]。33歳の時に帰国し[1]、高松藩主松平頼恭の侍読となる[1]。安永9年(1780年)松平頼真によって藩校講道館が設立され[1]、初代総裁に就任した[1]。芝山が創始した四書五経の訓点は後藤点と呼ばれ[1]、広く世間に知れ渡った。門人には柴野栗山らがいた[1]。
著書に『元明史略』(宝暦元年刊行)『宮詞一百首』(安永6年)『職原鈔考証』(安永6年成立)がある[1]。
脚注
出典
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