後藤艮山とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 同じ種類の言葉 > 労働 > 職業 > 医師 > 後藤艮山の意味・解説 

ごとう‐こんざん【後藤艮山】

読み方:ごとうこんざん

[1659〜1733]江戸中期医師江戸の人。名は達。別号は養庵。父の郷里京都帰って開業多く門人育て古医方の祖とされる当時医師常識破り僧形をせずに平服をつけた。


後藤艮山

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/30 05:19 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
後藤艮山

後藤 艮山(ごとう こんざん、万治2年7月23日1659年9月9日) - 享保18年9月18日1733年10月25日))は江戸時代の医師である。田代三喜らがもたらしたの医術が、五行説などの空理空論に流れる傾向があったのに対して、後漢末の張仲景の『傷寒論』に戻ることを主張した古方派を代表する医師である。

生涯

江戸に生まれた。名は達、字は有成、通称左一郎、艮山は号である。儒学を林鳳岡に学び、医学を牧村卜寿に学んだ。貞享2年(1685年)京都に出て医業を開いた。「一気滞留論」を唱え、治療はを施し、熊胆、蕃椒(トオガラシ)を服用させ、湯に入ることを奨励したので、「湯熊灸庵」と評された。『傷寒論』のみでなく、『黄帝内経』『難経』なども参考にし、卑近な材料を用い、民間医療も取り入れた。空理を避けて、親試実験を説いて、古方派の範とされた。医書を著すことを好まず、門人によってその言説が伝えられた。門人に香川修徳山脇東洋らがいる。享年75(満74歳)。墓所は、京都市北区の上品蓮台寺、塔頭、普門院墓地。

参考文献

外部リンク




後藤艮山と同じ種類の言葉


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「後藤艮山」の関連用語

後藤艮山のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



後藤艮山のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの後藤艮山 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS