永田徳本とは? わかりやすく解説

ながた‐とくほん【永田徳本】

読み方:ながたとくほん

[1513?〜1630?]戦国時代から江戸初期医者三河の人といわれる。号、知足斎。各地流浪したが、比較長く甲斐武田信虎仕えた。著「医之弁」など。長田徳本


永田徳本

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 01:27 UTC 版)

永田 徳本(ながた とくほん、1513年?(永正10年) - 1630年3月27日寛永7年2月14日))は、戦国時代後期から江戸時代初期にかけての医師。「甲斐の徳本」などとも呼ばれ、また「十六文先生」や「医聖」とも称された。号は知足斎、乾室など。諸国を巡り、安価で医療活動を行ったといわれる放浪の医者である。


注釈

  1. ^ 『醫教正意』の著者である草刈三越に医術を学んでいる[1]

出典

  1. ^ 富士川游『醫史叢談』書物展望社、1942年、267頁。


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