有村章とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 有村章の意味・解説 

有村章

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/13 08:37 UTC 版)

有村 章(ありむら あきら、1923年12月26日 - 2007年12月10日)は、日本の生理学者医学博士チューレーン大学名誉教授。慶應義塾大学医学部客員教授。

人物

鹿児島県鹿児島市出身。旧制の鹿児島県立第二鹿児島中学校および第七高等学校卒業[1]。1951年名古屋大学医学部卒業後、イェール大学での研究生活を経て、1965年からチューレーン大学でアンドリュー・ウィクター・シャリー博士の下で、視床下部ホルモンの研究に従事した。ノーベル生理学医学賞(1997年)を受賞したシャリー博士の研究には、3人の日本人(有村章、馬場義彦、松尾寿之)が直接的に貢献したと言われているが[2]、有村博士は、そのうちの1人。 その後、有村博士は、1985年日本の財界の協力を得てチューレーン大学・日米協力生物医学研究所(U.S.-Japan Biomedical Research Laboratories)を設立、同研究所長となり、そこを拠点として、神経科学の発展に貢献した。特に、1989年には、脳疾患治療への応用が期待されるペプチド、PACAP(脳下垂体アデニレートサイクラーゼ活性化ポリペプチド)を発見している[3]。 2007年12月10日、肺炎のためアメリカルイジアナ州ニューオーリンズ市の自宅にて死去(享年83)[4]

著書

経歴

  • 1951年 名古屋大学医学部卒業
  • 1957年 博士号取得(生理学
  • 1965年 チューレーン大学(アメリカ)研究者
  • 1985年 チューレーン大学・日米協力生物医学研究所を設立
  • 1989年 PACAP発見
  • 1995年 勲三等旭日中綬章受章

脚注

  1. ^ 独立行政法人国立病院機構 南九州病院2018年11月21日閲覧
  2. ^ シャリー博士のノーベル賞受賞理由となった「LH-RH(luteinizing hormone-releasing hormone)の研究」は、有村、馬場、両博士が、16万5000頭の豚の視床下部から830マイクログラムのLH-RHを分離し、松尾博士がその構造決定を行ったことによる成果。
  3. ^ 雨宮夏雄「サンシャイン・プロジェクト」『北米総領事便り』2000年4月、外務省報道・広報のページ、2009年4月27日閲覧
  4. ^ "有村章氏死去:米チューレーン大名誉教授"、共同通信、2007/12/12配信、2009年4月27日閲覧

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「有村章」の関連用語

有村章のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



有村章のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの有村章 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS