松平家時代の家臣
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松平大膳家 - 御厄介(一門)。頼重の七男頼芳が初代。頼芳の孫のうち頼桓は4代藩主となり、頼桓の弟2人が大膳家当主から徳島藩主蜂須賀家の養子に転出している。 大久保主計家 - 藩主頼重の実弟ともされる大久保公忠が初代。大老職を世襲。3000石。 平賀源内-本草学者、発明家やコピーライター、シナリオ脚本家としての一面ももつ 久米通賢-塩田開発や地図作成などから新型銃の発明まで行ったとされる 藤沢南岳-幕末から明治に活躍した儒学者 柴野栗山-寛政の三博士のひとり 向山周慶-和三盆糖の製造に成功した人物 松平左近 - 御厄介(一門)。水戸藩の徳川斉昭に傾倒した尊王家で,桂小五郎(木戸孝允)ら勤王派の藩士,志士を積極的に庇護した。また明治1(1868)年の鳥羽・伏見の戦ののち,弟の高松藩主松平頼胤が一貫して佐幕的な姿勢をとり続け政府軍の来攻にあうと,藩論を恭順に導いて高松が兵禍を被るのを防いだ。 後藤芝山-藩校講道館の総裁に任ぜられる。四書五経に後藤点として知られる訓点を付加。有職故実に詳しく、詩文、書にもすぐれた。門人に柴野栗山がいる。著に「元明史略」「王経標註」「芝山先生遺稿」など。 木村黙老-松藩家老として坂出塩田を開くなど経済政策に実績をあげた。『南総里見八犬伝』・『椿説弓張月(ちんせつゆみはりづき)』などの長編小説で人気を集めた曲亭(滝沢)馬琴の「三親友」の一人として知られ、二人の交流は近世文学史に名を刻んでいる。 中山城山-儒学者。全讃史筆者 全国に500人の弟子があったとされる 増田休意-高松藩の三代物語筆者。菊池寛の先祖とされる 大久保主計家 長町竹石-山水画の絵師として江戸で有名となった 矢延平六-灌漑工事や溜め池改修など高松平野の開発を行った 牛窪求馬-明治に四国で初めての電灯会社(現在の四国電力)を設立する 松崎渋右衛門-勤皇家。桂小五郎など後の明治政府の人物らと親交が深かったが明治になって謀殺される。 長谷川宗右衛門-水戸藩の徳川斉昭に触発されて勤皇家として活動。安政の大獄で幕府に捕らえられたがその獄中で吉田松陰が影響を受けたと言われている。
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