松平山城守家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/02 07:23 UTC 版)
3代・松平信吉は安房守(のちに伊豆守)だったが、4代・忠国から山城守を世襲した。忠国と子・信之の2代で、上野国高崎藩5万石、丹波国篠山藩5万石、播磨国明石藩7万石、大和国郡山藩12万石、下総国古河藩9万石と各地を移封された。 しかし、6代目の松平忠之が乱心して改易される。その後、忠之の同母弟で大和国興留藩主だった松平信通に家督相続が認められた。備中国庭瀬藩3万石を経て出羽国上山藩3万石に移封となり、改めて山城守に叙任された。 子孫は、上山藩に定着し、幕末まで存続するが、奥羽越列藩同盟に加わって新政府軍に抵抗、のちに恭順した。
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